2016年10月2日「受けたものを、伝える」

2016102日 花巻教会 召天者記念礼拝

聖書箇所:コリントの信徒への手紙一15311

「受けたものを、伝える」

 

  

召天者記念礼拝

 

本日はご一緒に召天者記念礼拝をおささげしています。

 

私たち花巻教会は、昨年の1115日、柳谷明先生を主のもとにお送りしました。また先日の917日、菅原英八さんが主のもとに召され、920日に花巻教会にてご葬儀が執り行われました。柳谷明先生と菅原英八さんのご家族の皆様の上に、またお二人につながるすべての人の上に、主よりの慰め、お支えがありますようお祈りいたします。

 

また、花巻教会の皆様の中にはこの1年、愛するご家族、ご親族を主のもとにお送りした方々がいらっしゃいます。どうぞ主よりの慰め、お支えがありますようお祈りいたします。

 

 

 

受けたものを、伝える

 

 本日は、説教のタイトルを、「受けたものを、伝える」といたしました。私たち教会がこの2000年間、リレーのバトンのように、ずっと受け継いできたものがあります。それは、「復活の希望」です。「死は終わりではない」という望みを、私たちは先人たちから受け継いできました。

 

先ほどお読みしました聖書箇所の冒頭には、このように記されていました。コリントの信徒への手紙一153節《最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです》。

 

この手紙を記したのはパウロという人物ですが、この手紙の中で《最も大切なこと》としてパウロが「伝えた」ことは、パウロ自身、先人たちから「受けたもの」であるということが記されています。パウロが信仰の先達からリレーのバトンを受け取るように受け取ったのは、すなわち、次のことでした。《キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、/葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、/ケファに現れ、その後十二人に現れたことです3b-5節)

 

短い文言でありますが、ここにキリスト教の核心が告白されています。イエス・キリストがわたしたちの罪のために死んだこと。そして、三日目に復活されたこと、です。ケファ(ペトロのこと)をはじめとする12人の弟子たちはその復活の目撃者となりました。

 

続く箇所では、次いで多くの弟子たちが復活のキリストと出会ったことが記されています。手紙の著者パウロもまた、復活のキリストと自分は出会ったと語っています。《次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。/次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、/そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました》6-8節)

 

このように、復活のキリストと直接出会った人々を、聖書特有の言葉では「使徒」と呼んでいます。リレーでたとえると、いわば「第一走者」ですね。第一走者の使徒たちが手渡してくれた復活の希望は、人から人へと途切れることなく手渡され、そしていま、私たちのもとへ届けられています。

 

ちなみに、本日のパウロの手紙では、復活のキリストに最初に出会ったのが12人の男性の弟子たちになっていますが、ヨハネによる福音書では、復活のキリストに最初に出会ったのはマグダラのマリアという女性の弟子であったことが記されています(ヨハネによる福音書2011-18節)。マグダラのマリアが最初に復活の主と出会い、復活の命を男性の弟子たちに伝えるために走り出したのがスタートであったのです。とすると、一番初めの使徒、すなわち真の「第一走者」はマグダラのマリアであった、ということになるでしょう。

 

いずれにしましても、復活の希望の光はそうしてこの2000年間、途切れることなく人から人へと伝え続けられてきました。

 

 

 

復活の希望 ~人との出会いを通して

 

 イエス・キリストの「復活」は、キリスト教の核心部です。しかし一方で、最も不思議に思えるもの、最も理解しがたく思えるものも、「復活」です。

 

 私たちは使徒たちのように、復活されたイエス・キリストに直接的に出会った、という経験はありません。つまり、復活のキリストが生前と変わらぬお姿で現れて話しかけてくださったり、一緒に食卓についてくださったり(ルカによる福音書2413-35節)、目の前で焼いた魚を食べてくださったり(同36-43節)、という直接的な経験はしていないでしょう。もしそのような出来事に遭遇したら、信じるも信じないもなく、私たちは復活を真実として受け入れるでしょう。けれども、私たちはそのような経験は直接的にはしていません。もちろん中には神秘的な体験をしたという方もいらっしゃるでしょうが、クリスチャンである方のほとんどは、そのような直接的な経験というのは必ずしもしていないことでしょう。私たち教会は、聖書に記された使徒たちの経験を真実のこととして受け入れ、使徒たちの経験をいわば自分たちの経験として大切にしてきたのです。

 

 ですので、時に「復活」ということが信じられなくなったり、時に確信が揺らいだり、実感できないという心境になったとしても、それはむしろ当然であるということができるでしょう。私たち自身は直接的な経験をしていないのだとしたら、時に確信が揺らぐことがあっても、少しもおかしなことではありません。

 

 一方で、私が最近改めて思いますことは、復活の希望というのは、むしろ、「人との出会いを通して与えられる」ものなのではないか、ということです。誰かからバトンを手渡されるようにして、私たちの心にともされてゆくものなのではないか、ということを最近思っています。

 

もちろん何か直接的な神秘的な経験をするというのも素晴らしいことですが、一方で、誰かの存在を通して、誰かの人生を通して、私たちの心に復活の希望の光がともされるということがあります。それもまた一つのかけがえのない復活の命の経験なのだ、と考えます。復活のキリストは、もはや直接的には私たちの前に現れてくださらないとしても、人と人との出会いを通して、ふれあいを通して、そしてまた別れを通して、私たちの前に現れてくださり、いま生きて働いてくださっているのだ、と受け止めるようになりました。

 

 今日は召天者記念礼拝ということで、天に召された愛する方々のお写真をこうして講壇の前に並べています。これら愛する方々の存在を通して、その人生を通して、神さまが復活の命の光を私たちの心にともしてくださっているのだと信じ、感謝をしたいと思います。

 

 

 

柳谷明先生から受けたもの

 

 復活の希望は、人との出会いを通して与えられる――そう私が改めて受け止めるようになったのは、昨年花巻教会で行われた柳谷明先生のご葬儀を通してでした。

 

 前夜式が執り行われる前の日、ご家族より柳谷先生が闘病中に記された祈りの言葉を見せていただきました。それは、キリスト教雑誌『信徒の友』の巻頭ページのために書かれた祈りの言葉でした。

 

柳谷先生はお亡くなりになる一か月前に緩和ケア病棟に入院されていました。その間、意識がはっきりとしている時を見極め、未執筆であった2016年の1月~3月号分の祈りを書き終えられました。それら祈りの言葉を読ませていただいたのですが、最後の3月号の祈りにおいて、柳谷先生は復活の希望を記しておられました。以下、元の原稿を読ませていただきます。

 


《神さま
 東日本大震災から丸5年が経ちました。
 あの金曜日どれだけの人が家を流され、自らの命を奪われ、
 原発の爆発のために農業、漁業など自分たちの生活の場を奪い取られました。
 こんな恐ろしい出来事があっていいのでしょうか。


 あの年は、イースターが45日でした。
 しかし今年は327
 被災地への支援の手は細りますます元の生活には帰ることも出来ません。
 そんな中でどうしてイースターを迎えたらよいでしょう。
 私たちにはどんなひどい状況の中でも
 イエスさまの復活が語られています。
 どんなに多くの人の周りに 死が取り囲もうとも死は復活の目安です。
 私も老人で病人です。
 私が死んでも泣いて欲しくありません。
 イースターは復活の命をもたらしてくれる日です。


 神さまは同じ復活の命を私たちに与えて下さっているのですから。》

 

 

 最後の部分で、柳谷先生は《私が死んでも泣いて欲しくありません。/イースターは復活の命をもたらしてくれる日です。/神さまは同じ復活の命を私たちに与えて下さっているのですから》と結んでおられます。柳谷先生はそのご生涯を通して、そして最後の別れを通して、私たち一人ひとりに復活の希望を伝えてくださったのだと受け止めております。

 

 柳谷明先生から受けたもの、また、いまは天におられるたくさんの愛する方々からいただいたもの、それを心にしっかりと刻み、その復活の命の光を私たちもまた誰かに伝えてゆきたいと願います。

 

召天者記念礼拝をささげる今日、どうぞここに集ったお一人ひとりの上に、主よりの慰め、お支えがありますようにとお祈りいたします。