2016年8月7日「平和の福音」

201687日 花巻教会 平和聖日礼拝

聖書箇所:マタイによる福音書52126

 

「平和の福音」

 

 

平和聖日

 

本日は平和聖日礼拝をご一緒にささげています。平和聖日は、ごいっしょに平和を覚え、礼拝をささげる日です。

 

奥羽教区の諸教会に配布された祈りの課題として、「六ケ所村核燃料サイクル問題・原発再稼働問題」、「集団的自衛権行使問題・安全保障法制廃止問題」、「沖縄辺野古基地建設中止」が挙げられています。沖縄に関しては、辺野古だけではなく、いま高江で起こっていることも喫緊の課題です。もちろん、これら祈祷課題の他にも、この他にも、私たちの社会には平和を脅かす状況が至るところで見出されます。先月26日に起こった相模原での事件もまた、私たちの社会の平和を脅かす事件となっています。

 

 どうぞ目の前にある一つひとつの課題に、私たちが祈りをもって、誠実に向かい合ってゆけるようにと願います。また主がその力を私たち一人ひとりに与えてくださることを信じ、ともに祈りを合わせてゆきたいと願います。

 

 

 

平和聖日のはじまり ~広島からの祈り

 

「平和聖日」は、花巻教会が属する日本キリスト教団が独自に定めているものです。日本キリスト教団では8月の第一週を、この平和聖日に定めています。

 

平和聖日は、日本キリスト教団の西中国教区が、86日の原爆投下の日、またはその直前の日曜日を平和聖日とすることを提案したことにさかのぼります。1961年のことでした。西中国教区は広島県、山口県、島根県の3県で構成されている教区です。広島の原爆を実際に経験した牧師と信徒の方々の祈りから、平和聖日は始まっていったということが分かります。

 

その後、西中国教区は教団全体としても平和聖日を守ることを建議します。提案は可決され、翌1962年に、平和聖日は教団全体で守るものとなりました。西中国教区の提案は「86日の広島への原爆投下の日またはその直前の日曜日を平和聖日とする」というものでしたが、「8月の第一日曜日を平和聖日とする」という修正を経た上で可決され、今日に至っています(参照:『日本基督教団史資料集 第4巻』261262頁、日本基督教団出版局、1998年)

「平和聖日」の制定は、原爆の悲惨さを経験した広島の諸教会の祈り、核廃絶に向けての祈りが発端であったのですね。

 

当時は冷戦のただ中であり、とりわけアメリカと旧ソ連の間で緊張が高まっていた時でした。実際に核戦争が起こるかもしれないという危機の中にあった時代です。教団全体で平和聖日を制定した1962年には、核戦争寸前まで米ソの緊張が高まったキューバ危機が起こっています。まさに核戦争が起こるかもしれないという緊迫した状況の中で、平和聖日が制定されたということが分かります。

 

 

 

核についての現状

 

昨日は86日でした。広島をはじめ、日本の各地で祈りがささげられたことと思います。いまも原爆の放射能による健康被害に苦しむ方々が大勢おられます。悲惨な記憶に苦しみ続ける方々がおられます。明後日9日は長崎の原爆の日です。

 

今年はアメリカのオバマ大統領の広島訪問という画期的な出来事がありました。しかし、核廃絶への道筋はいまだ見えないというのが現状です。冷戦時と比較して削減されたとはいえ、アメリカとロシアはそれぞれ、いまだ約7000発以上の核兵器を保有しています。この他にもフランス、中国、イギリス、パキスタン、インド、イスラエルも保有していますし、北朝鮮も数は少ないながらも保有している可能性があります。

 

昨日の広島での平和記念式典に出席した後の記者会見で、安倍首相は「わが国が核兵器を保有することはありえず、保有を検討することもありえない」と述べました。その言葉とは裏腹に、与党の一部の政治家たちの頭の中では日本の原子力の政策が核保有に向けての政策と一体であるということは、すでに周知のこととなっています。

 

青森県の六ケ所村の再処理工場はプルトニウムを取り出すことを目的としている施設ですが、なぜ国がそこまで六ケ所村の再処理工場にこだわるのかというと、経済的な目的と共に、核兵器を保有する能力を保持したいという意図が関わっていると考えられます。原爆の材料となるプルトニウムを大量に保有していることが潜在的な核能力になり、周辺諸国に対する「核抑止力」になる、と考えている政治家は与党の中に少なからずいるようです。

 

広島と長崎の惨劇を経験したはずの日本が、このような有様です。この現状を前に、怒りを感じずにはいられません。

 

 

 

『はだしのゲンはピカドンを忘れない』

 

私の父は広島出身です、私の祖父は広島の因島で長らく牧師をしておりました。ただし、父方の祖父母が広島に移り住んだのは戦後のことであり、身近なところに原爆を経験した人がいるわけではありません。けれども、私は広島の原爆に対して切実なものをずっと感じ続けてきました。

 

小学校6年生の時に、学校の自由研究で広島の原爆を取り上げました。ちょうど戦後50年の記念の年でした。実際に広島まで行き、原爆ドーム、原爆資料館(広島平和記念資料館)などを訪ねて歩きました。原爆資料館の展示物のあまりに悲惨な内容と、資料館から外に出たときの平和公園の緑の美しさの落差に、戸惑いを感じたことを覚えています。

 

原爆に関する本を何冊か読む中で、『はだしのゲンはピカドンを忘れない』(岩波ブックレットNo.71982年)を手に取りました。漫画『はだしのゲン』の作者の中沢啓治さんが自身の体験や思いを述べている冊子です。

 

その冊子はいま手元にないので正確な引用はできませんが、そこにおいて中沢さんは、「自分は決してアメリカのしたことをゆるさない」、「原爆投下という非人道的な行為を決してゆるさない」という内容のことを繰り返し述べていらっしゃったと記憶しています。原爆投下というゆるすことができない行為に対して、私たち日本に生きる者は、もっと怒りをもつべきだ、とも強調してらっしゃったように思います。

 

「ゆるさない」「もっと怒りをもつべきだ」という中沢さんの言葉は、私の心に強烈な印象を残しました。消化できない何かを飲み込んでしまったかのような、燃える炭火を飲み込んでしまったかのような、戸惑いも感じました。

 

 私は幼い頃から両親と教会に行っていましたが、教会で教えられていることと中沢さんの言葉とがぶつかるように感じられたからです。教会では「ゆるしなさい」ということが言われていますね。また本日の聖書箇所にあるように、怒りをもつことを諫めていると読める箇所もあります。

 

 以来、ずっとこの問題は私の中で未消化なままでいました。未消化なままであったこの問いが、最近になってようやく自分の中で消化され、整理され始めたように感じています。

 

 

 

尊厳がないがしろにされることへの怒り

 

 怒りには、さまざまな怒りがあります。一つには、人を傷つける怒りがあります。人を傷つけ、時に死に至らせてしまう怒りは、本日の聖書個所が示すように、制御されねばなりません。

 

と同時に、人間としてまっとうな怒りというものもあります。新約聖書の福音書には、イエス・キリストもまた憤られ、怒られたことが記されています。その主イエスの怒りとは、人間の尊厳がないがしろにされていることへの怒りでした。主イエスの言動から伝わってくるのは、一人ひとりの生命と尊厳がないがしろにされることを決して「ゆるさない」という姿勢です。聖書において、この怒りは否定されてはいません。むしろ、大切なものとして、聖書全体を貫いています。

 

 本日の聖書個所からも、その怒りがにじみ出ています。本日の聖書個所から私たちは、「他者の尊厳をないがしろにすることを、神さまは決してゆるされない」というメッセージを受け取ることができます。他者の尊厳を軽んじ傷つけることを、神さまは決してゆるされない。激しい怒りをもってのぞむのだということが言われています(マタイによる福音書522節)。もし自分がいま他者の尊厳をないがしろにしてしまっているのだとしたら、私たちは自分のその言動を「悔い改める」ことを喫緊の課題としなければなりません(同52326節)

 

ここ数年、私は人間の尊厳ということについて自分なりに考えるようになり、怒るべきことに怒ることの大切さということを思うようになりました。また、自分はこれまで、怒るべきことに怒ってこなかったのではないか、ということも反省されられました。人間の尊厳についての感覚が鈍磨していたのではないか、と思わされました。

 

原子爆弾は、人間の生命と尊厳を破壊する究極の暴力です。これ以上ないほど非人道的、残虐な仕方で人間の生命と尊厳を奪うのが、核兵器です。だからこそ私たちは原爆の投下を決して「ゆるさない」し、これが投下されたことに対して「もっと怒りをもつべき」なのでしょう。

 

 

 

《水ヲ下サイ》

 

 広島の原爆の経験を描いた小説『夏の花』で有名な、原民喜という詩人・小説がいます。私が最も思い入れがある詩人・小説家ですが、原民喜さんの詩に、「水ヲ下サイ」という詩があります。この詩は、原爆が投下された直後、死にゆく人々が発していた声が基になっています。

 

《水ヲ下サイ/アア 水ヲ下サイ/ノマシテ下サイ/死ンダハウガ マシデ/死ンダハウガ/アア/タスケテ タスケテ/水ヲ/水ヲ/ドウカ/ドナタカ/

オーオーオーオー/オーオーオーオー/

天ガ裂ケ/街ガ無クナリ/川ガ/ナガレテヰル/

オーオーオーオー/オーオーオーオー/

夜ガクル/夜ガクル/ヒカラビタ眼ニ/タダレタ唇ニ/ヒリヒリ灼ケテ/フラフラノ/コノ メチャクチャノ/顔ノ/ニンゲンノウメキ/ニンゲンノ》(『原民喜全集第三巻』272頁、芳賀書店、1969年)

 

私はこの《水ヲ下サイ》という言葉に、身体の苦しさから来る叫びのみならず、存在を全否定されたことの人間の叫びと渇きを感じてきました。

 

私たちは実際に原爆の苦しみを経験したわけではありません。実際に被爆した方々の言語を絶する苦しみは、わたしたちが想像しようとしても想像が及ばないものです。しかし、私たちは原爆の悲惨さについて、わたしたちが理解できない事柄として距離を置くのではなく、自分自身の事柄として受け止めることも大切であると思っています。私たち人間の生命と尊厳を破壊する究極の暴力が、核兵器であるからです。

 

原爆は、その圧倒的な暴力を爆発させることによって、広島と長崎に生きる数十万の人々の生命と尊厳とを否定しました。私たちはこの出来事を決してゆるしてはならないし、もっと怒るべきなのです。そして、決して二度とこのようなことを起こしてはならないことの決意を新たにするべきです。

 

 

 

一人ひとりの心の底に静かな泉が鳴りひびき

 

私自身の祈りともなっている、原民喜さんの次の文章があります。

《だが、人々の一人一人の心の底に静かな泉が鳴りひびいて、人間の存在の一つ一つが何ものによっても粉砕されない時が、そんな調和がいつかは地上に訪れてくるのを、僕は随分昔から夢みていたような気がする》(『心願の国』より。『夏の花・心願の国』281頁、新潮文庫、1973年)

 

原民喜さんは、原爆のあまりの悲惨さの中で、それでもなお、一人ひとりの心の底に静かな泉が鳴りひびくこと、一人ひとりの存在が何ものによっても粉砕されない調和の時がいつかこの地上に実現することを夢見ていました。

 

 

 

平和の福音を携えて

 

原さんが夢見たこのビジョン、これはイエス・キリストが伝えてくださった平和の福音につながるものと私は受け止めています。

 

主イエスは、ご自分を通して、一人ひとりの存在の底に命の泉を湧き出ることを伝えてくださっています。一人ひとりの存在の底に泉があるということは、一人ひとりが「かけがえのない(代替不可能な)」存在であるということです。一人ひとりに神さまからの尊厳が与えられている。これが神さまの目から見た真実です。主イエスはこの真実を福音として私たちに伝えてくださいました。この真実を知らされた私たちは、だからこそ、地上においてこの神さまからの尊厳が確保されることを自分たちの最重要課題としてゆかなければなりません。

 

 平和とは、「戦争がない」状態だけを指すのではありません。「一人ひとりの生命と尊厳とが守られる」ことが実現されるとき、そこにまことの平和が出現します。イエス・キリストの福音は、この平和へと至るための道筋を私たちに示してくださっています。

 

 平和の福音を携えるものとして、今日、ご一緒にここから派遣されてゆきたいと願います。