2020年12月6日「主の正義と恵みの業」
2020年12月6日 花巻教会 主日礼拝
聖書箇所:イザヤ書59章12-20節
「主の正義と恵みの業」
K・Kさんご葬儀
先週12月1日(火)の12時半より、教会員のK・Kさんのご葬儀を花巻教会にて執り行いました。91歳のご生涯でした。現在の新型コロナウイルス感染拡大の状況を鑑み、花巻教会からは代表して役員の方々に出席いだきました。ご葬儀に出席がかなわなかった皆さまのため、ご葬儀の説教を週報ボックスに入れておきましたので、どうぞご覧ください。
ご葬儀の後、14時より東和斎場にて火葬を執り行いました。
お連れあいのTさん、ご遺族の皆様の上に主の慰めがありますようお祈りいたします。
アドベント第2主日礼拝
先週から、教会の暦で「アドベント」に入りました。本日はアドベント第2主日礼拝をごいっしょにおささげしています。アドベントは日本語では「待降節」とも言われます。イエス・キリストがこの世界に誕生されたクリスマスを待ち望み、準備をする時期です。アドベントは12月24日まで、4週間続きます。
講壇の手前に飾っているリースはアドベントクランツと言います。教会では伝統的に、このクランツに立てたろうそくに毎週1本ずつ火をともしてゆく風習があります。今日はアドベント第2週ということで、2本のろうそくに火がともっています。次週の第3週目には3本、第4週目には4本すべてのろうそくに火がともります。毎週1本ずつろうそくに火がともってゆくことで、だんだんとクリスマスが近づいてきていることを実感することができますね。
このろうそくの光は、イエス・キリストの光を指し示しています。新約聖書では、イエス・キリストは「まことの光」と呼ばれます。《その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである》(ヨハネによる福音書1章9節)。私たちはアドベントの期間、このまことの光の到来を待ち望む想いを新たにします。
神さまの《まこと(真理)》と《正義》
冒頭で、旧約聖書のイザヤ書の言葉をお読みしました。本日の聖書箇所であるイザヤ書59章12-20節では、人々の間から《まこと(真理)》と《正義》が見失われている状況が率直に記されています。
《……こうして、正義は退き、恵みの業は遠くに立つ。まことは広場でよろめき/正しいことは通ることもできない。/まことは失われ、悪を避ける者も奪い去られる。主は正義の行われていないことを見られた。それは主の御目に悪と映った》(14-15節)。
神さまが私たちに伝えて下さっている《まこと(真理)》とはなんでしょうか。その真理とは、「神さまの目から見て、一人ひとりが、価高く、貴い存在である」(イザヤ書43章4節)ことです。私たち一人ひとりには、等しく、神さまからの尊厳が与えられています。
「尊厳」とは、言い換えれば「かけがえのなさ」ということです。私たち一人ひとりは、かけがえのない存在として神さまに創られた。だからこそ大切な存在なのです。
「かけがえのなさ」の反対語は、「替わりがきく」でありしょう。私たちの間から《まこと(真理)》が見失われてしまったとき、人は替わりがきく存在とされてしまいます。尊厳が軽んじられ、替わりがきく存在にされてしまうのです。
では、神さまの《正義》とは何でしょうか。それは、そのように「尊厳がないがしろにされることを、神さまは決しておゆるしにならない」ことです。人々の生命と尊厳が軽んじられている現実があるのならば、神さまはその現実を決して見過ごしにはなさらない。イザヤをはじめとする預言者たちはその神の正義に基づいて、不正義と悪がはびこる現状を厳しく批判しました。
私たちの近くに遠くに、生命と尊厳がないがしろにされている状況があります。人が軽んじられ、替わりがきく存在にされてしまっている現状があります。私たちはそのような状況の中にあって、どのように応答すべきであるのか。どのような姿勢をもって、振舞ってゆけばよいのか。私たちはいま改めて、旧約聖書の預言者の言葉に学ぶことが求められているように思います。
K・Kさんの戦争体験
K・Kさんのご葬儀の説教で、Kさんが14歳のとき、学徒動員で川崎市の工場に行かれた経験をご紹介させていただきました。Kさんにとって、その経験は生涯忘れられない経験になったそうです。改めて、皆さまにご紹介したいと思います。
学徒動員とは、アジア・太平洋戦争末期に、文部省の命令で14歳以上の生徒と学生の授業を停止し、軍需産業や食糧生産に動員したことを言います。Kさんをはじめとする岩手の生徒たちは1945年の2月、遠く離れた神奈川県の川崎市の工場に動員されました。
奇しくも当時、同じ川崎の工場に動員されていたOさんがユネスコの会報に寄稿された記事を、ご葬儀の説教を準備するにあたって読ませていただきました(日本ユネスコ協会連盟『ユネスコ 2016.4 vol.1152』)。OさんとKさんは同学年です。Oさんの手記によりますと、岩手の生徒たちが学徒動員をされたその時期は、東京への空襲が本格化していたときでした。東京の上野駅についたときは、駅周辺が空襲にあって、火の海であったそうです。空襲が本格化していたのは、川崎市も同様でした。川崎市は戦争中、軍需生産で重要な役割を果たしており、アメリカから最重点の攻撃目標の一つとされていました。
命の危険があると分かっている場所に、労働力が必要だからと言って子どもたちを動員させる。アジア・太平洋戦争末期にいかに人々の生命と尊厳が軽んじられていたかを改めて思わされます。しかも、そこに行かされるのはまだ十代の、未来ある子どもたちなのです。子どもたちが単なる労働力――「替わりがきく」労働力としか見なされていなかった現状があったと言わざるを得ません。国や一部の人の都合が優先され、「お国のため」との名目の下、弱い立場にある人々は軽んじられ、犠牲にされる。まさに、《まこと(真理)》と《正義》が見失われた状況がそこにはありました。
Oさんの文章によりますと、川崎では毎日空襲警報が鳴り、工場から防空壕に駆け込む日々であったそうです。4月15日には川崎大空襲が起こり、工場も消失してしまいました。防空壕へと逃げる途中、上空の戦闘機から機銃掃射を受ける経験もしたことをOさんは手記で記しておられます。Kさんもおそらくそのような経験をされたことと思います。まさに、いつ爆撃にあって死んでしまうか分からない状況です。
引率の先生方は何とか子どもたちを岩手に帰らせたいと何度も交渉されましたが、ゆるされなかった。それは、当時としては、「国賊だ」とののしられる提案であったとのことです。しかし、未来ある子どもたちを死なせてはならないとの一心で、先生方は独自に帰還を決行。生徒たちにひそかに岩手行きの列車を手配し、帰郷させたと伺っております。そのおかげで学徒動員されていた多くの生徒たちの命が救われました。
この先生方の姿勢と振る舞いこそ、神さまの《まこと(真理)》と《正義》に基づいたものであったものだったのではないでしょうか。たとえ「国賊」「非国民」とののしられようと、自らの職を失おうと、子どもたちの命と未来を守ることを第一とする。国全体が《まこと》と《正義》を見失ってしまった中にあって、それを最後まで見失わなかった方々がいたことに、私自身、とても心を打たれました。
Kさんはその後、医学の道に進み、小児科医としてそのご生涯をささげられました。戦争体験を通して心に刻まれた、命の大切さ。その想いはその後、Kさんが小児科医として働かれる上での土台となっていったのではないかと受け止めております。
また、自分たちを決死の覚悟で帰郷させてくれた先生方へのご恩を生涯持ち続けていらっしゃったと伺っております。
主の《まこと》と《正義》に立ちかえり
本日は神さまの《まこと(真理)》と《正義》についてお話しました。神さまが私たちに伝えて下さっている真理とは、「神さまの目から見て、一人ひとりが、価高く、貴い」(イザヤ書43章4節)ということ。神さまの正義とは「その尊厳がないがしろにされることを、神さまは決しておゆるしにならない」こと。
説教の中ではK・Kさんの戦争体験についてもご紹介しました。多くの人の生命と尊厳とが犠牲にされたアジア・太平洋戦争。すさまじい惨禍をもたらしたアジア・太平洋戦争が終わって以降、私たちの住む日本においてはこの75年、確かに国家間の戦争は起こっていません。しかし、人々の生命と尊厳が軽んじられることはやはり、近くに遠くに、至るところで起こっているのではないでしょうか。一部の人々の都合が優先され、何らかの大義名分の下、弱い立場にある人々が軽んじられ、犠牲にされる不正義はいまも生じてしまっています。預言者イザヤが語った《まこと》と《正義》が見失われた状況は、現在も至るところで見受けられます。
また私たち自身、そのような状況の中で、《まこと》と《正義》を見失ってしまうこともあるかもしれません。自らもその不正義の中にとりこまれそうになることもあるかもしれません。暗闇が自分の周りをすっぽり覆ってしまったかのように感じることもあるでしょう。
そのような私たちのもとに光をもたらすため、神さまの《まこと》と《正義》をこの地にもたらすために来て下さった方、その方がイエス・キリストです。《その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである》(ヨハネによる福音書1章9節)。
このまことの光は、暗闇の中に確かにともされています。暗闇の中に輝く光、決して消えることない光として――。
アドベントのこの時、主の《まこと》と《正義》に立ちかえり、暗闇の中に輝くキリストの光を仰ぎ見つつ、ご一緒に歩んでゆきたいと願います。