2021年11月14日「主は私たちのうめき声を聞き」
2021年11月14日 花巻教会 主日礼拝説教
聖書箇所:マルコによる福音書13章5-13節、ヘブライ人への手紙11章17-29節、出エジプト記6章2-13節
「主は私たちのうめき声を聞き」
F・Nさん召天
花巻教会員のF・Nさんが天に召されました。87歳でした。昨日13日(土)の午前8時より出棺の祈り、9時よりしみず斎苑にて火葬が執り行われました。本日の15時より、花巻教会にてご葬儀を執り行います。どうぞお祈りにお覚えください。
Nさんは今月の21日がお誕生日でした。ご遺族の皆さまにご了承を得て、教会の皆さんに書いていただいたバースデーカードを出棺の際に棺の中に入れさせていただきました。
ご遺族の皆様、Nさんにつながるお一人おひとりの上に主の慰めをお祈り申し上げます。
お連れ合いのYさんにNさんの愛唱賛美歌と愛唱聖句をお聞きしたところ、愛唱賛美歌は51番「ガリラヤの風かおる丘で」、愛唱聖句はルカによる福音書23章42-43節だと教えてくださいました。
ルカによる福音書23章42-43節《そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。/するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた》。イエス・キリストが十字架におかかりになったとき、隣で十字架刑に処せられていた男性と交わされた言葉です。男性が《イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください》と願うと、主イエスは《はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる》とおっしゃいました。この主イエスの言葉にある通り、Nさんもいま、主と共に、楽園(神さまのみ国)において安らぎと休息とが与えられていることを私たちは信じています。
昨日、火葬が終わるのを待っている間、ご家族の皆様からNさんの思い出をお伺いすることができました。ご家族の皆様のお話を伺いながら改めて思ったことは、Nさんがご家族やご友人の方々のあたたかな想いに囲まれていらっしゃったということです。またNさんも、その大切な方々のために尽力することを何よりの喜びとされていたということです。
Nさんはそのご生涯の歩みにおいて、様々なお辛い経験もされたようです。と同時に、それ以上に、愛する方々とのつながりを通して、多くの喜びが与えられたご生涯であったのだと思わされました。大切な人々との出会いの中で、そのつながりの中で、Nさんは楽園(主のみ国)の喜びを先取りする恵みもまた与えられていたのではないでしょうか。
旧約聖書のイザヤ書51章3節に次の言葉があります。《主はシオンを慰め/そのすべての廃墟を慰め/荒れ野をエデンの園とし/荒れ地を主の園とされる。/そこには喜びと楽しみ、感謝の歌声が響く》。
人と人との出会い、あたたかなつながりを通して、神さまの愛は現れ出ます。たとえ目の前に困難があっても、廃墟のような現実があったとしても、多くの痛みがあったとしても、私たちは神さまの愛を通して、いまこの場所を主の園とすることができます。
Nさんと主のみ国でまた会えるときがくることを希望とし、また、Nさんからいただいた愛を胸に、残された私たちも互いに支えあいながら歩んでゆきたいと願います。
2021年「障害者」週間 ~《喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい》
日本のプロテスタント教会の加盟教団・団体によって構成されているNCC(日本キリスト教協議会)は、毎年11月の第2週を「障害者」週間としています。《それぞれの教会で「障害者」の偏見と差別をなくし、お互いに支え合っていけるよう》祈りをあわす期間です。本日は「障害者」週間であることも覚え、ご一緒に礼拝をおささげしています。
今年のテーマは「支え合う『いのち』――新型コロナ危機の中で」です。主題聖句は昨年に引き続き、《喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい》(ローマの信徒への手紙12章15節)です。
この2年近く、私たちは新型コロナウイルス感染拡大の困難に直面し続けてきました。その困難の中で、この主題聖句にある「共に喜び、共に泣く」ことの大切さ、互いに支え合ってゆくことの大切さも改めて思い起こしました。
「障害者」週間のこの週、差別や偏見のない社会、互いを尊重しあう社会の実現を願い、自分にいまできることを祈り求めてゆきたいと思います。
出エジプト記
メッセージの冒頭で、旧約聖書の出エジプト記6章2-13節をお読みしました。出エジプト記はその名の通り、イスラエルの民がエジプトから脱出する物語、そして約束の地カナンを目指す物語です。
当時、イスラエルの人々はエジプトのファラオの支配の下で奴隷とされ、不当な重労働を負わされ虐待を受けていました。イスラエルの人々をその苦難から解放するために神から選ばれたのが、モーセという人物です。
出エジプト記はその後生み出されてゆく様々な物語の、いわば原型ともいうべき物語です。出エジプト記が示す世界観が後世に与えた影響は計り知れないものがあるでしょう。特に有名なのは、海が割れる場面や、シナイ山にて神がモーセに十戒をお与えになる場面などですね。映画の『十戒』をご覧になった方も多いことと思います。
主は私たちのうめき声を聞き
出エジプト記を読む上で、重要な場面があります。モーセが神から召命を受ける直前の記述です。《それから長い年月がたち、エジプト王は死んだ。その間イスラエルの人々は重労働のゆえにうめき、叫んだ。労働のゆえに助けを求める彼らの叫び声は神に届いた。/神はその嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。/神はイスラエルの人々を顧み、御心に留められた》(出エジプト記2章23-25節)。
先ほど、イスラエルの人々が当時エジプトで奴隷とされ、重労働を課せられていたことを述べました。人々のその叫びが神に届き、神はその約束(契約)を思い起こされた、と出エジプト記は記します。
本日の聖書箇所でも、同様の言葉が記されていました。6章5-6節《わたしはまた、エジプト人の奴隷となっているイスラエルの人々のうめき声を聞き、わたしの契約を思い起こした。/それゆえ、イスラエルの人々に言いなさい。わたしは主である。わたしはエジプトの重労働の下からあなたたちを導き出し、奴隷の身分から救い出す》。
先週、聖書は「神と人間の約束の書である」ということを言いました。父祖アブラハムに神から約束が与えられた場面をご一緒に読みました。出エジプト記においても、やはりこの約束が重要な主題となっていることが分かります。
印象的なのは、神さまが約束を思い起こされる契機となったのが、イスラエルの人々の「叫び」「うめき」であることです。奴隷状態で苦しむ人々の叫び、嘆き、うめきを神が聞き届けてくださり、約束を思い起こしてくださったこと、それがその後の物語の大切な枠組みとなってゆきます。
「神さまは私たちの叫びを必ず聞いてくださる方である。神は私たちのことを決してお忘れにならない。神は私たちのために、行動を起こしてくださる方である」。出エジプト記の根底に流れ続けているのは、この神さまへの信頼です。
モーセとキリスト ~新しい出エジプト
出エジプト記においては、イスラエルの民の叫びをお聞きになった神は、モーセという一人の人物を選び、エジプトに遣わしてくださった。それが「出エジプト」の出来事の始まりとなります。
旧約聖書における最重要人物の一人であるモーセ。新約聖書においては、モーセに替わる存在が現れます。その方が、イエス・キリストです。神は私たちの叫びを聞き、その独り子を世界にお遣わしになってくださった――。これが、新約聖書が語る救いの物語の始まり、クリスマスの出来事です。福音書の物語は「新しい出エジプト」と呼ばれることもあります。
今月の28日(日)から、私たちは教会の暦でアドベント(待降節)を迎えます。イエス・キリストの誕生を記念するクリスマスを待ち望み、その準備を整える時期です。アドベントは、モーセの時代から受け継がれ続けてきた、神さまの約束への信頼を新たにする時期でもあるでしょう。「神さまは私たちの叫びを必ず聞いてくださる方である。神は私たちのことを決してお忘れにならない。神は私たちのために、行動を起こしてくださる方である」。独り子が遣わされたクリスマスは、この約束が実現された日だからです。
主は共に苦しみ、涙を流しながら
新約聖書は、そのようにして私たちのもとに来てくださったイエス・キリストもまた、その生涯において苦しみを受けられたことを語ります。
《キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。/キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。/そして、完全な者となられたので、御自分に従順であるすべての人々に対して、永遠の救いの源となり、/神からメルキゼデクと同じような大祭司と呼ばれたのです》(ヘブライ人への手紙5章8-10節)。
新約聖書は、イエス・キリストもまた私たちと同じように、生前、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら懸命に祈られたことを証しています。主イエスは私たちの経験するあらゆる苦しみを知っていてくださる方であり、私たちと共に苦しみ、叫び、涙を流してくださっている方です。《喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい》――この言葉を、他ならぬ主ご自身が体現してくださっているのです。そしてそのことを通して、「神は私たちのことを決して忘れてはいない。神は私たちのこの叫びを聞いておられる」ことを伝え続けてくださっています。
アドベントが近いこの時、神さまが私たちの叫びを必ず聞き届けてくださり、行動を起こしてくださることへの信頼を新たにしたいと思います。そして、私たちもまた、他者の苦しみの声に耳を傾け、具体的な行動を起こしてゆくことができますようにと願います。