2023年12月31日「ベツレヘムの星」
2023年12月31日 花巻教会 主日礼拝説教
聖書箇所:イザヤ書11章1-10節、ガラテヤの信徒への手紙3章26節-4章7節、マタイによる福音書2章1-12節
今日は12月31日、本日が今年最後の礼拝となります。この1年、教会の歩みが神さまと多くの方々の祈りによって支えられましたことを感謝いたします。
先週の24日(日)にはクリスマス礼拝とクリスマス・イブ燭火礼拝をおささげしました。クリスマスの恵みと平和が皆さんと共にありますようお祈りいたします。
25日は過ぎましたが、教会の暦では1月6日(土)の公現日(エピファニー)までがイエスさまの誕生を覚えるクリスマスの期間となります。ですので、リースやツリーもまだそのままにしています。公現日はイエス・キリストが人々の前に「公に現れた」ことを記念する日です。
今年も間もなく終わりを迎えるにあたり、皆さんも改めてこの1年を振り返っておられることと思います。この1年、私たちの近くに遠くに、様々な出来事がありました。喜びもあれば、悲しみもありました。
私たち花巻教会はこの1年、愛する方々を天にお送りしました。2月16日には教会員のS・Mさんが神さまのもとに召されました。Mさんは2月11日に病床にて洗礼を受けられました。Mさんは入院中、洗礼を受けたいとの思いを手帳に書き記しておられました。Mさんが願っていらっしゃった通り、洗礼式を行うことができ、心より感謝でした。
10月22日には、K・KさんとK・Gさんが洗礼を受けられました。Kさん、Gさんの上に、神さまの祝福が豊かにありますようお祈りしています。
この1年、教会の歩みが神さまと多くの方々によって支えられたことを感謝しつつ、来年も互いに祈り合い、支えあいながら歩んでゆきたいと願っています。
二つのクリスマス物語
先週のクリスマス礼拝では、一般に知られているクリスマス物語は二つのクリスマス物語が組み合わされたものであることをお話ししました。マタイによる福音書に記されているクリスマス物語と、ルカによる福音書に記されているクリスマス物語です。
イエスさまが馬小屋(家畜小屋)で誕生したという有名な場面は、ルカによる福音書のクリスマス物語に記されています(ルカ福音書2章6、7節)。羊飼いたちの前に天使が現れて救い主の誕生を告げる場面も、ルカ福音書です(2章8-20節)。《いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ》(同14節)という天使の歌も有名ですね。
本日の聖書箇所は、マタイによる福音書のクリスマス物語の一つです。東方の博士たちが星に導かれて、赤ん坊の救い主を探し当てるというエピソード。博士たちが幼子の前にひれ伏して、黄金と乳香と没薬をささげる場面もよく親しまれているものですね。この博士たちの訪問は1月6日の公現日に読まれることも多い場面です。
ベツレヘムの星
東方の博士たちを導いた不思議な星は、「ベツレヘムの星」と呼ばれます。クリスマスツリーのてっぺんに飾られている星は、このベツレヘムの星を現わしています。この星が一体何なのかについては諸説あり、後世の私たちにははっきりとは分かりません。この不思議な星に導かれるようにして、博士たちはイエス・キリストがお生まれになった場所を探し当て、幼子を礼拝し、宝物をささげることができたのです。
この東方の博士たちは、天文学・占星術を専門とする人々でした。毎晩夜空を見上げ、天体の位置や動きを研究していた人々です。絵画では学者たちは三人で描かれることが多いですが、聖書本文には三人という人数が記されているわけではありません。ささげた贈り物が「黄金、乳香、没薬」の三種類だったので、学者の数も伝統的に三人とされてきたようです。
聖書本文には学者たちの名前も詳しい出自や年齢も記されてはいませんが、後に「メルキオール」「カスパール」「バルタザール」という名前が付されるようになり、出自や年齢についても様々な伝承が加わってゆくようになりました。メルキオールは老人、カスパールは若者、バルタザールは中年。出身はそれぞれ、ヨーロッパ人、アジア人、アフリカ人とみなされるようになりました(参照:クリスマスおもしろ事典刊行委員会編『クリスマスおもしろ事典』、日本キリスト教団出版局、2003年、61頁)。
これらはあくまで後世に加わった伝承ですが、ここで心に留めたいことは、この占星術の学者たちがユダヤ人ではなく、外国人であるという点です。東方から来たということは、彼らが外国から来た人々であることを意味しています。聖書特有の言い方をするなら、「異邦人」です。
不思議な星の光に導かれ、いち早く救い主に出会ったのは、民族も宗教も異なる「異邦人」の彼らでした。私たちはここから、「イエス・キリストの光はすべての人に与えられる」というメッセージをくみ取ることができます。
私たちの心に暗い影を落とすエピソード
マタイによる福音書のクリスマス物語は、その後、暗さを帯びてゆきます。占星術の学者たちから「ユダヤ人の王が誕生した」ことを聞いたヘロデ王が不安に駆られ、ベツレヘムとその一帯にいた2歳以下の男の子を一人残らず殺すよう命令を下す場面が続くのです(マタイ福音書2章13-18節)。幼子イエスとマリアとヨセフはエジプトに避難したことにより、一命をとりとめ、無事でした。
マタイによる福音書2章16-18節《さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。/こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。/「ラマで声が聞こえた。/激しく嘆き悲しむ声だ。/ラケルは子供たちのことで泣き、/慰めてもらおうともしない、/子供たちがもういないから。」》。
キリストの誕生という最高に喜ばしい出来事の直後に記される、悲惨な出来事。クリスマス礼拝のメッセージでもお話ししたように、イエスさまの誕生後に挿入されているこの幼児虐殺のエピソードは、私たちの心に暗い影を落としています。
《ラマで声が聞こえた。/激しく嘆き悲しむ声だ。…》
イエス・キリストがお生まれになった町ベツレヘムについて、地図で場所を確認してみたいと思います(スクリーンの地図を参照)。ベツレヘムは、パレスチナ自治区のヨルダン川西岸地区に属しています。ハマスとイスラエルとの戦争が行われているガザ地区とも距離が近いことがお分かりいただけるかと思います。ベツレヘムでは、今年のクリスマス関連行事はすべて中止にしたとのことです。ガザの仲間たちのことを思い、静かに、切なる祈りと礼拝とがささげられたことでしょう。
皆さんも、連日報道されている戦争のニュースに、大変心を痛めていらっしゃることと思います。ガザ地区では、2万人を超える死者の内、その4割が子どもたちであると報じられています(朝日新聞、2023年12月22日、1面)。
ユニセフのラッセル事務局長は、《いま、子どもにとって世界で最も危険な場所はパレスチナ自治区ガザ地区である》と述べているそうです。また、ガザの保健当局によると、死者の約7割は子どもと女性であるとのことです。この悲惨な現状を踏まえ、ニューヨークタイムズのニコラス・クリストフ氏は次のように述べています。
《中東について話し合うのは難しい。人々はすぐに敵味方に分かれてしまうからだ。しかし、私たちは、イスラエルでもガザでも同様に、誰の安全を強化することもないまま無意味に死んでいく子どもたちの側に立たなければならない。イスラエル、米国、パレスチナの子どもたちの命はすべて等しく価値があり、私たちはそのように行動すべきなのだ》(朝日新聞、2023年12月23日、NYタイムズ、12月6日付電子版、抄訳)。
先ほど、マタイによる福音書のクリスマス物語の中の幼児虐殺の場面を引用しました。《ラマで声が聞こえた。/激しく嘆き悲しむ声だ。/ラケルは子供たちのことで泣き、/慰めてもらおうともしない、/子供たちがもういないから》。これは、旧約聖書の預言書エレミヤ書からの言葉です。ここで述べられているのは、母親たちの悲痛な叫びです。母たちは子どもたちのことで泣き、もはや誰からも慰めてもらおうとはしません。愛する子どもたちがもういないからです。
かつてエレミヤがラマで聴き取ったこの嘆き悲しみの声。このエレミヤの言葉を読むとき、ガザで起っていることを思い起こさずにはおられません。いままさに戦場と化しているガザのあちこちで、この激しく嘆き悲しむ声が湧き上がっています。
これ以上、子どもたちのかけがえのない命が傷つけられ、失われることのないようご一緒に祈りを合わせたいと思います。戦争が一刻も早く停戦へと至りますように、パレスチナの人々に対する虐殺が一刻も早く中止されるよう、強く求めます。
暗闇の中に輝く光
ガザ地区での戦争、ロシアとウクライナの戦争をはじめ、私たちの生きる世界には、様々な悲惨な出来事があり、困難な出来事があります。昨日は、ロシア軍がウクライナの首都キーウなどの各都市を一斉攻撃し、昨日の時点で死者は30人以上にのぼっていることが報じられています。ガザ地区での戦争、ウクライナでの戦争が一刻も早く停戦へと至るよう切に願います。
国内でも、様々な重大な問題が生じています。まるで私たちの周囲を混沌と暗闇が覆っているかのようです。私たちの近くに遠くに、悲しい現実や困難な現実があります。
聖書は、その暗闇のただ中に、光が輝いていることを語っています。その光とは、イエス・キリストの光です。《その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである》(ヨハネによる福音書1章9節)――。東方の博士たちを導いたベツレヘムの星は、このキリストの光を指し示すものであったのだと本日はご一緒に受け止めたいと思います。
すべての人を照らす光として、イエスさまは私たちのもとに来てくださいました。暗闇のような現実の中を生きている人々に、まことの光をもたらすために。この世界に生きるすべての人に、神さまの愛と平和と命の光をもたらすために。
《互いに愛し合いなさい》《平和を実現する人々は、幸いである》
まことの光であるイエス・キリストは私たちに語り続けておられます、《互いに愛し合いなさい》(ヨハネによる福音書13章34、35節)と。《私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい》。互いの存在を認め合い、その生命と尊厳を重んじ合ってゆきなさい、と。
また、イエスさまは語り続けておられます。《平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる》(マタイによる福音書5章9節)。
イエスさまが私たちを重んじてくださったように、私たちも互いを重んじ、一人ひとりの生命と尊厳をまことに大切にしてゆくことができますようにと切に願うものです。
私たちからイエスさまへのささげもの
私たちが愛と平和の教えを実践しようとすることが、イエスさまへの最大のささげものとなるでしょう。私たちの手元には豪勢な宝の箱はなく、高価な黄金と乳香と没薬もないかもしれません。けれども、私たちの内にはイエスさまが与えてくださった、大いなる愛があります。いまも与え続けてくださっている、大いなる愛があります。このイエスさまの愛を分かち合おうとすること、この愛と平和の内に生きようとすることこそが、私たちにできる最大の奉仕となるでしょう。私たちからイエスさまへのささげものとなるでしょう。
私たちの困難な現実のただ中に共におられる御子
かつて貧しい家畜小屋の中でお生まれになったように、イエスさまはいまこの時、私たちの困難な現実のただ中に、布に包まれて横たわっておられる。弱く小さな存在、一人の赤ん坊として――。
東方の博士たちがベツレヘムの星に導かれて神の御子と出会ったように、私たちもいま共に星の光に導かれ、私たちの困難な現実のただ中に共におられる御子と出会えますようにと願います。