2024年10月6日「愛のきずな」

2024106日 花巻教会 主日礼拝説教

聖書箇所:創世記281022節、コロサイの信徒への手紙314節、コリントの信徒への手紙一1313

愛のきずな

 

 

召天者記念礼拝 

 

本日は、天に召された愛する方々を覚えて、ご一緒に召天者記念礼拝をおささげしています。

花巻教会ではこの1年、天に召された会員の方はいらっしゃいませんでしたが、今日ここに集われた皆さまそれぞれがこの1年、愛する方々、大切な方々を神さまのもとにお送りしたことと思います。

召天者を覚えこの礼拝に集われたお一人おひとりの上に、神さまの慰めとお支えがありますようお祈りいたします。

 

 

     

讃美歌「主よ、みもとに」

 

 先ほどご一緒に讃美歌434番「主よ、みもとに」を歌いました(日本基督教団讃美歌委員会編『讃美歌21』所収、日本基督教団出版局、1997年)。愛唱賛美歌されている方もいらっしゃることでしょう。1番の歌詞を改めてお読みいたします。

《主よ、みもとに近づかん。/十字架の道 行くとも、/わが歌こそ、わが歌こそ、/「主よ、みもとに近づかん」》。

 

ご存じのように、タイタニック号が沈没するときにこの賛美歌が歌われたという伝承があります。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に出て来ることで、花巻市民の皆さんにもこの賛美歌は広く知られています。

 

この賛美歌が作られたのは19世紀の半ば、作詞はサラ・アダムス18051848年)、作曲はローウェル・メーソン17921872年)という方です。詞のもととなっているのは、旧約聖書の創世記28章のヤコブの夢の場面1022節)です。先ほど礼拝の中でも朗読していただきました。改めて、その場面を振り返ってみたいと思います。

 

逃亡の旅の途中、ヤコブは一つの石を枕にして眠ります。ヤコブはそこで不思議な夢を見ます。それは、先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、そこを天使たちが上り下りしているという夢でした。

見ると、ヤコブの傍らに神ご自身が立っておられ、彼に祝福と約束の言葉を語りかけられました。

…見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこに行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない15節)

眠りから覚めたヤコブは、夢を通して神さまが自分に出会ってくださったことを悟ります。その記念として、枕にしていた石を記念碑とします。そうしてその場所を「べテル(神の家)」と名付けました。

 

このヤコブの夢の場面を踏まえて、改めて「主よ、みもとに」の歌詞を味わってみたいと思います。

2番《さすらう間に 日は暮れ/石にまくら するとも、/夢にもなお、夢にもなお、/主よ、みもとに近づかん》。

3番《天よりとどく かけはし、/われをまねく みつかい。/恵みうけて、恵みうけて、/主よ、みもとに近づかん》。

4番《目覚めてのち、ベテルの/石を立てて 捧ぐる/祈りこそは、祈りこそは、/「主よ、みもとに近づかん」》。

5番《天翔けゆく つばさを/与えらるる その時/われら歌わん、われら歌わん、/「主よ、みもとに近づかん」》。

 

 

 

天と地を結ぶ階段のビジョン ~あなたは独りではない

 

 逃亡の旅を続けていたヤコブは、夢の中で、天と地を結ぶ階段のビジョンを見ました。印象的であるのは、創世記のこの箇所において、天から地に向かって伸びる階段として描かれていることです。それは、天の方から私たちに向かって伸ばされた階段であるのですね。

 私たちが神さまのもとに近づいてゆくと同時に、神さまの方からも、私たちに近づいてくださっている。いや、私たちが近づくより先に、まず、神さまが私たちのもとに近づいてくださっている。私たちのすぐそばにまで――。

 

神さまはこの天と地を結ぶ階段の幻を通して、ヤコブに伝えます。《…見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこに行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない》。

「私はいつもあなたと共にいる。あなたは独りではない」とヤコブに伝えてくださったのです。

 

 天と地とをつなぐ架け橋――それは終わりの日に私たちが上ることができるものであるだけではなく、日々の生活の中で、いつも私たちと共にあるものであると受け止めることができるのではないでしょうか。目には見えないけれども、この架け橋はいつも私たちの傍に存在しています。

 ヤコブは、その階段を天のみ使いたちが上り下りしているのを見ました。天上と、地上に生きる私たちとの間には、絶えず何らかのメッセージの行き来があることが示されています。このみ使いたちの幻も、孤独感にさいなまれていたヤコブに対する神さまからのメッセージであったのはないでしょうか。この地上でただ独りで生きているように思っていたヤコブに対し、「私はいつもあなたと共にいる。あなたは独りではない」と神さまはお語りになってくださいました。

 

夢を通してヤコブがそのことに気づいたとき、横たわっていた何でもない場所が、特別な場所となりました。枕にしていた何でもない一つの石が、大切な記念碑となりました。何でもない場所が、ヤコブにとってかけがえのない「ベテル(神の家)」となりました。

 

 

 

天と地を結ぶ階段 ~愛のきずな

 

 天と地を結ぶ階段――このビジョンを、本日は神さまとヤコブを結ぶ「愛のきずな」として受け止めてみたいと思います。神さまはヤコブを愛するゆえ、天と地を結ぶ階段のビジョンを通して、ヤコブに語りかけて下くださったのです。「私はいつもあなたと共にいる。あなたは独りではない」と。

またそして、この愛のきずなは、神さまといまを生きる私たちの間にも結ばれているものとして受け止めることができます。この愛のきずなは目には見えませんが、いつも私たちと共にあり、私たちを支え続けてくれているのだと本日はご一緒に受け止めたいと思います。

 

新約聖書のコロサイの信徒への手紙には次の言葉がありました。《これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです(コロサイの信徒への手紙314節)。愛こそは、すべてを結び合わせ、完成させるきずなであることを語る言葉です。時に私たち自身はこの愛のきずなを見失っても、神さまご自身はこのきずなをお忘れになることはありません。

 

またそして、聖書はこのように語ります。コリントの信徒への手紙一1313節《それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である》。「愛の賛歌」と呼ばれる、よく知られた聖書の言葉のしめくくりにあたる言葉です。

 

 

 

聖書が語る愛 

 

最も大いなるものは、愛。では、聖書が語る愛はどのようなものなのでしょうか。

愛は、聖書において最も大切な言葉の一つです。私たちも普段の生活で「愛」という言葉を用いることがあります。中にはこの言葉を口にするのは恥ずかしい、照れくさいという方もいらっしゃるかもしれません。愛は新約聖書の原文のギリシア語ではアガペーと言います。動詞形だとアガパオーです。

このアガペーという言葉にはもちろん「好き」「大好き」という感情も含まれていますが、それだけを表す言葉ではありません。聖書におけるアガペーは、好きではない相手に対しても使うことができる言葉です。不思議なことのように思われるかもしれませんが、感情的には嫌い・苦手な相手であってもその相手を、「愛する」ことがアガペーにおいては可能なのですね。というのも、聖書の「愛する(アガパオー)」という言葉には、相手を「大切にする」「尊重する」意味が含まれているからです。

 

キリスト教が初めて日本に渡ってきたとき、愛という言葉を宣教師たちは「ご大切」と訳したそうです。素晴らしい訳であると思います。愛するとは、大切にすることを意味する言葉だからです。「好き」という感情だけではなく、相手を大切にする具体的な行動を表しているのが、聖書における愛です。

 

私なりに表現すると、アガペーなる愛とは、「相手の存在をかけがえのないものとして重んじ、大切にしようとすること」です。このアガペーなる愛は、相手のことが「好き」か「嫌い」かを超えて、相手の存在を重んじ、大切にするように働くものです。

 

聖書は、このアガペーなる愛は、神さまから生じていることを語っています。他ならぬ神さまが、私たち一人ひとりの存在をかけがえのないものとして重んじ、大切にしてくださっていることを語っています。

たとえ私たちの目には、ある特定の相手が大切な存在であるとは映っていなかったとしても、神さまの目にはその人も大切な存在として映っている。失われてはならない、かけがえのない、尊厳ある存在として映っているのだと私は信じています。

かけがえがないとは、替わりがきかないということです。私たちは一人ひとり、神さまから、替わりがきかない存在として創られた。だからこそ、大切であるのです。

コリントの信徒への手紙一1313節《それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である》という言葉における「愛」も第一に、この神さまの愛を指し示しています。ですので、愛は、最も大いなるものと呼ばれます。

 

聖書が語るもう一つ大切なこと、それは、このアガペーなる愛が、私たち一人ひとりに分け与えられているということです。私たち一人ひとりが、神に愛されている者、神の愛をその内に宿す者です。神に愛された者として、互いを重んじ、互いを大切にして生きること。これが、キリストが伝えてくださっている愛の掟です(ヨハネによる福音書1334節)

 

 

 

愛のきずなを心に留めて

 

私たちがこの愛に立ち返るとき、その瞬間、目の前に、かけがえのないきずなに結ばれた世界が現れ出ます。神さまと私たちとを結ぶきずな、天と地とを結ぶきずな、私たちを互いに結び合わせる愛のきずなです。

このきずなは、死をもってもなお、失われることはありません。神さまが与えてくださるこの愛のきずなは、天に召された愛する人々と私たちとを結び合わせています。このきずなに結ばれて、天にいる人々も、地上に生きる私たちも、共に神さまの大いなる愛と命の中を生きています。ですので、私たちは独りなのではありません。

 

 

この愛のきずなを心に留めて、ご一緒に歩んでゆくことができますようにと願います。