2017年4月30日「人の子は何ものなのでしょう」
2017年4月30日 主日礼拝
聖書箇所:詩編8編
「人の子は何ものなのでしょう」
詩編8編1-10節《指揮者によって。ギティトに合わせて。賛歌。ダビデの詩。/
主よ、わたしたちの主よ/あなたの御名は、いかに力強く/全地に満ちていることでしょう。/
天に輝くあなたの威光をたたえます/幼子、乳飲み子の口によって。/あなたは刃向かう者に向かって砦を築き/報復する敵を絶ち滅ぼされます。/
あなたの天を、あなたの指の業を わたしは仰ぎます。/月も、星も、あなたが配置なさったもの。/そのあなたが御心に留めてくださるとは 人間は何ものなのでしょう。/人の子は何ものなのでしょう あなたが顧みてくださるとは。/神に僅かに劣るものとして人を造り/なお、栄光と威光を冠としていただかせ/御手によって造られたものをすべて治めるように その足もとに置かれました。/羊も牛も、野の獣も/空の鳥、海の魚、海路を渡るものも。/
主よ、わたしたちの主よ/あなたの御名は、いかに力強く/全地に満ちていることでしょう》
三田照子さんご葬儀
昨日29日(土)午前10時より、三田照子さんのご葬儀が花巻葬祭センターで執り行われました。葬儀の後、ホテル花城で偲ぶ会が行われました。ご遺族の皆さま、照子さんにつながるお一人お一人の上に、主よりの慰めがありますようお祈りいたします。
ご葬儀の説教の中で、照子さんのご生涯の歩みをご一緒に改めて振り返りました。皆さんもよくご存じの通り、照子さんにとって、満州での5年間の経験が、その後の人生の大切な土台となっておられました。
照子さんはお連れ合いの善右ヱ門さんと結婚され、満州に渡られました。満州は現在の「中国東北部」と呼ばれている地域です。1932年から1945年まで、日本の軍事独裁体制のもとで建設されました。1941年、吉林市内のキリスト教会にて、お二人は結婚式を挙げられました。
「日本と中国が心を合わせ、理想の国をつくろうという夢を抱いて満洲へ渡った」と照子さんは当時のことを語っておられます。《日中の架け橋たらむと夢馳せて血をたぎらせし我が若き日よ》。照子さんの詠んだ歌です。照子さんと善右ヱ門さんは中国の青年のための無料夜学塾(聖焔塾)を開き、また中国においても真の友が与えられました。
現在、朝日新聞の地方版に照子さんのインタビューが連載中です(『満州 月と星 風化に抗う戦後71年 三田照子さんに聞く』)。
照子さんの満州での経験
照子さんたちの満州での生活は、敗戦の直前、1945年8月9日のソ連の満州への侵攻を機に一転します。吉林市の満州の開拓団の人々はソ連軍に銃を向けられ、住まいを追い出されました。
満州に住む日本の人々は、この日を境に難民状態になりました。お連れ合いの善右ヱ門さんら吉林市協和会は、吉林市に流れ込んで来る日本人のために神社の広場に難民救済所をつくり、難民となった同胞のために不眠不休で尽力されました。このとき、照子さんは妊娠7か月、お腹にご長男の望さんを宿しておられました。
家も食料も失い、長い苦難の旅で弱り切った人々は、次々と命を落としてゆきました。日本人女学校の校庭に掘られた千個の墓穴はすぐに埋まり、その後人々の遺体は後ろの砲台山に放置されていきました。山は毎日捨てられる遺体で埋め尽くされていったそうです。照子さんはそのように、戦争によって多くの人々の命が簡単に消えてゆく光景を目の当たりにされました。
ご葬儀の説教の中でも取り上げさせていただきましたが。照子さんからお聞きし、私の心に刻まれているエピソードがございます。住まいも財産も一切を失い、照子さんとお腹の中の望さんも命の危機にある中で、善右ヱ門さんと交わされた会話です。
善右ヱ門さんは難民救済所にやってくる大勢の人々に水を配り、裸の人には自分の上着を着せ、忙しく走り廻っておられましたが、照子さんを見ると、こうおっしゃったそうです。《ごくろうかけるね。小学校に逃げた話も聞いたよ。でも(大変な状況であるが自分たちは)今日は死なないだろう。この人達は僕が今手を放したら皆今夜死ぬ人達だよ。頼むから僕を思い切りこの人達の為働かせてくれ」》(手記『生かされている命』より)。実際、善右ヱ門さんのこのご尽力により、どれほど多くのかけがえのない命がつなぎとめられたことでしょう。善右ヱ門さんの心が痛い程よく分かる照子さんは無言でうなずいただけで、また避難先の小学校に戻ったそうです。
「人間を愛すること」
一昨年、このときのことを改めて照子さんにお聞きする機会がありました。照子さんはこのとき、善右ヱ門さんの言葉を聞いて、「そのとおりだ」と納得されたそうです。「一番弱い人を一番助けねばならない。死にかかっている人を一番に助けねばならない。中国人か日本人かということも彼には関係なかったと思う」。どんな人の命もたった一つしかない。中国人であっても何人であっても助けよう、という思いでいた。それが「人間として当たり前のこと」であると、照子さんも善右ヱ門さんも了解していたとのことです。お二人は、「人間として大切にしたいこと」がぴったり一致していた。お二人は夫婦であり、同時に、同志であったのだと胸を打たれました。
善右ヱ門さんはクリスチャンではいらっしゃいませんでしたが、信仰の有無を超えて、生き方そのものが、イエス・キリストの愛を体現していらっしゃると感じております。苦しんでいる人、困っている人を前にしたら、突き動かされざるを得ない。他者を愛し、他者のために自分をささげる生き方。それは照子さんもまた、そうでいらっしゃいました。
《私共夫婦は生い立ちから性格から非常にちがっていた。宗教も思想も同じとは言えなかった。それにもかかわらず物の見方、価値観は最初からあまりちがわなかった。私共の生活が合わないと感じたことは一度もなかったし、信頼と尊敬を持ち寄って暮せたのは共通のポイントである“人間を愛すること”を持っていたからではなかっただろうか》(三田善右ヱ門『光陰赤土に流れて 終戦直下・満州の記録』、新版、2000年、三田照子さんの『あとがき』より)。
新約聖書のコリントの信徒への手紙一13章13節に《それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である》という言葉がございます。最も大いなるものは愛である。言い返れば、信仰も希望も、愛から生じているのだと受け止めることができます。
壁を築くか、橋を架けるか
照子さんと善右ヱ門さんが大切にしていた共通のこと、それは、「人間を愛すること」でした。ここでの「人間」とは、自分と関係のある、身近な人々だけを指しているのではないでしょう。また、同じ日本人だけを指しているのでもないでしょう。国を超え、違いを超え、あらゆる垣根を超え、「同じ人間として」、目の前にいる一人ひとりを愛する、という意味であると受け止めております。
このことは国を超え時代を超えすべての人に共通する目標であると同時に、実行するのは難しいことでもあるかもしれません。私たちは日々の生活の中で、自分に身近な人、自分と関係のある人なら大切にするけれども、自分と関係のない人であれば無関心になることが多いように思うからです。それだけ、私たちがいま生活に余裕がない、自分の身の回りのことで精いっぱいであるのかもしれません。
自分と少しでも違いがある人々は自分には関係のない人々とみなしてしまい、無関心になってしまう。それどころか、その違いを強調し、「敵意」という壁を築いてしまう。そのような現状が私たちの社会にはあるのではないでしょうか。
今、排他的なナショナリズムというものが世界的に力を持ち始めています。私たちの国でもそうですし、国際的にもそうです。国籍の違いを強調し、自分たちとは異なる人々に対しては無関心であろうとする。もしくは、敵意をもって追いやろうとする。私たちの日本の社会でも、たとえばヘイトスピーチという悲しい現象があります。ヘイトスピーチは人権侵害であり、私たちはこれを決して容認することができません。
このような排他的な現象が生じているのは、私たちがいまそれだけ、大きな不安や恐れに取りつかれているということの表れでもあるのかもしれません。私たちは不安や恐れに駆られるとき、自分を何とか守ろうとして、壁を築きます。心を閉じ、自分たちの周りに壁を造ろうとするのです。私たちのこれら不安や恐れは、敵意と同調しやすい傾向をもっています。私たちはある特定の人々に敵意や怒りを向け、それを根拠に自分たちが築いた壁を正当化しようとするのです。
壁を造ることはある意味、たやすいことです。けれども、その壁を取り除き、橋を架けることは大変なことでもあります。勇気がいります。橋を架けるためには、自分の内にある敵意と向き合い、自分の内にある恐れや不安を取り払わないといけないからです。しかしいま、私たちは勇気をもって互いの間に橋をかける道を歩むことが求められているように思います。
照子さんと善右ヱ門さんは、アジアの国々に深い想いをもっていらっしゃいました。一昨年、照子さんに満州での経験をじっくりとお聞きする機会がありました。その際、照子さんはいまの日本の現状を嘆いておられました。「なぜいま、アジアを第一にしないのか。一番日本が仲良くしてもらいたいのは、中国と韓国です。それを主人も最期まで言っていた。『アジアの海よ、安かれ』と。決して戦争はしないで、一番仲良くなってほしい」。
お連れ合いの善右ヱ門さんは、「兄弟は民族の始まり」ということをおっしゃっていたそうです。中国人、韓国人、日本人はもともとは兄弟で、それが民族に分かれて行った、アジアの諸民族はもとをたどればみな兄弟同士なのだと善右ヱ門さんは捉えていらっしゃったそうです。
人の子は何ものなのでしょう
本日の詩編8編は、私たち人間がどういう存在であるのかを語っています。詩編8編5節《人間は何ものなのでしょう。/人の子は何ものなのでしょう あなたが顧みてくださるとは》。
歌い手の「わたし」は夜空を見上げ、人間とは何ものなのかを問うています。広大な夜空に浮かぶ月、無数の星。神さまが造られたこれら広大な宇宙に比べると、私たち人間の存在はまことにちっぽけなものに思えます。いったい人間は何ものなのか。
また私たちはこれまでの歴史において、愚かなことを繰り返してきました。その愚かさの最たるものが、戦争でありましょう。いったい、人間は何ものなのか。
本日の詩編8編は、しかし、それでもなお、神さまはその私たち人間を顧みてくださっている、と謳っています。《そのあなたが御心に留めてくださるとは 人間は何ものなのでしょう。/人の子は何ものなのでしょう あなたが顧みてくださるとは》。
本日の詩編は、私たち人間は神さまの目から見て貴い存在であることを伝えています。私たちの目から見ると、自分たちの存在がどれほど小さく、愚かに見えようとも。
《神に僅かに劣るものとして人を造り/なお、栄光と威光を冠としていただかせ/御手によって造られたものをすべて治めるように その足もとに置かれました》。この部分が語っているのは、神さまの目から見た、人間の尊厳についてです。神はご自分に僅かに劣るものとして人を造った。それほど、人間という存在は神の目から見て大切なのだ、ということです。《神はご自分にかたどって人を創造された》と記す創世記1章(27節)と共通する視点であるということができるでしょう。
一人ひとりが、天から見て尊厳ある存在
先ほど、排他的なナショナリズムが台頭しているということを申しましたが、この流れに対峙するためには、「天から見て、一人ひとりの人間が尊厳ある存在である」というこの視点を、いま一度私たちの内に力強く取り戻すことが重要であると思います。
天からのまなざしにわたしたちのまなざしを合わせてみると、どうでしょう。そこにはもちろん、国境というものは存在しないことでしょう。そこには、神の目から見てかけがえなく貴い、一人ひとりの人間が生きているだけであるでしょう。
新約聖書のフィリピの信徒への手紙には、《しかし、わたしたちの本国は天にあります》(3章20節)という言葉がございます。「わたしたちの国籍は天にあります」とも訳すことのできる言葉です。私たちの真の国籍は、天にある。であるとしたら、私たちは、皆が同じ「神の国の市民」である、ということになります。
イエス・キリストが私たちに伝えてくださっているのは、一人ひとりが神に愛された存在である、ということです。一人ひとりが、生まれる前から神さまに愛され、祝福されている存在である。神さまが私たちを愛してくださっているように、私たちの互いを愛する。あらゆる違いを超え、壁を超え、目の前にいる一人ひとりを大切にする――これが、イエス・キリストの教えです。私たちがそのように、互いをかけがえのない存在として受け止め合うところから、平和は少しずつ生まれ出てゆきます。
最後に、昨年、99歳の白寿に寄せて照子さんが花巻教会の会報に寄せてくださった文章をお読みしたいと思います。タイトル「白寿(99歳)まで生かされて」。その締めくくりの文章です。《平和な世界を作る為に我らは神に遣わされ、愛されて生きている。神は試練ばかりではなく更に良き道を備えてくれる。夫が逝って50年、99歳の誕生日を迎え、生きることの尊さを深く感じる日々である。
私共は、何があっても戦争だけはしてはならない。戦争程、全ての人を不幸にし、悲しませるものはない》。