2021年2月14日「湖の上を歩いて」

2021214日 花巻教会 主日礼拝

聖書箇所:マタイによる福音書142236

湖の上を歩いて

 

  

 

昨晩、宮城県・福島県を中心として、広範囲で大きな地震がありました。皆さんのご自宅は大丈夫だったでしょうか。10年前の東日本大震災を思い出し、不安な夜を過ごされた方も多くいらっしゃることと思います。岩手県内では特に県南の地域が大きな揺れを観測しました。いまのところ県南の教会から被害があったとは伺っておりません。花巻教会の会堂も倉庫の花瓶が一つ落ちて割れた以外は、特に被害はありませんでした。引き続き、余震には気を付けてゆきたいと思います。

いま復旧作業にあたっている方々の上に主の支えがありますよう、一人一人の安全が守られますよう、ご一緒に祈りを合わせたいと思います。

 

 

 

湖の上を歩いて

 

 いまお読みしました聖書箇所は、福音書に記された奇跡物語の中でもよく知られているものの一つでありましょう。イエス・キリストが荒ぶる湖の上を歩いて弟子たちのもとに行くという場面です。このようないわゆる「奇跡物語」をどのように受け止めたらよいのか戸惑ってしまう方もいらっしゃるかもしれません。本日は、奇跡が「あり得るか」「あり得ないか」ではなく、この不思議な出来事がいまを生きる私たちにどのようなことを語りかけているかをご一緒に聴き取ってゆきたいと思います。

 

 本日の聖書箇所の舞台となっているのはパレスチナの北部にあるガリラヤ湖です。ガリラヤ湖は上空から見ると楽器のハープのようなかたちをしている湖で、南北におよそ21キロメートル、東西に13キロメートルの大きさがあります。湖のまわりには町が点在しており、人々は舟にのって町から町へ移動をすることができました。

 

本日の物語も弟子たちが舟に乗って向こう岸に渡ろうとするところから始まります。渡ろうとしていたのはゲネサレトという土地でした。向こう岸に渡るように弟子たちに指示したのは主イエスご自身です。弟子たちを舟でゲネサレトへ向かわせた後、主イエスはひとり山に登られました。祈りをささげるためです。

 

 主イエスが山で祈っておられたとき、向こう岸に渡ろうとしていた弟子たちは向かい風に苦戦をしていました。辺りが暗くなっても、舟はまだ数百メートルしか進んでいませんでした。

ガリラヤ湖は地形の構造上、陸の方から突風が吹きつけて来ることがあったそうです。元漁師であったペトロたちといえどもその逆風は如何ともしがたかったようで、長い時間、舟を漕ぎ進めることができないでいました。

 

 夜が明ける頃、主イエスは弟子たちの方へ向かわれます。弟子たちは逆風と夜通し格闘して疲れ切っていたことでしょう。主イエスは陸の上ではなく、湖の上を歩いて弟子たちのもとへと向かわれた、と福音書は記します。《夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた(マタイによる福音書1425節)

弟子たちは何者かが湖の上を歩いて近づいてくるのを見て、はじめは幽霊だと思ってしまったようです。《弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた26節)

 恐ろしさのあまり叫び声を上げる弟子たちに対して、主イエスはお語りになります。《安心しなさい。わたしだ。恐れることはない27節)。幽霊だと思った存在は、実は主イエスであったことに弟子たちは気づきます。

「安心しなさい」という言葉は、「勇気を出しなさい」とも訳すことのできる言葉です。安心しなさい。勇気を出しなさい。わたしだ。恐れることはない――そう主イエスは弟子たちに声をかけてくださいました。

 

 

 

逆風に遭遇する中で

 

 湖の上で、逆風に悪戦苦闘していた弟子たち。この弟子たちの姿は私たち自身の姿と重なる部分もあるかもしれません。私たちもまた、生きてゆく中で様々な逆風に遭遇するからです。特にいま、新型コロナウイルスの困難の中にあって、私たちは激しい向かい風に遭遇し続けている状況にあると言えるのではないでしょうか。

 

昨日、世界の新型コロナの新規感染者数がこの1か月でほぼ半減したとのニュースが報道されていました。少し安堵を覚える一方で、やはりまだまだ予断を許さない状況が私たちを取り巻いています。新型コロナウイルスに感染した後、深刻な後遺症が残る場合があることが最近報じられるようになりました。この後遺症の問題も非常に気がかりです。目の前にはいまだ不安なことが山積みです。

新型コロナウイルスによって翻弄され続けている私たちと、荒波と逆風に苦しむ弟子たちの姿は、どこか重なり合っていると受け止めることができるのではないでしょうか。

 

 

 

物理的な距離が生じる中で

 

また、本日の場面においてもう一つ注目したいところがあります。それは、はじめは舟の中には弟子たちしかいなかった点です。主イエスは山で祈りをささげており、弟子たちのそばにはおられませんでした。主イエスと弟子たちの間を物理的な距離が隔てているのが本日の物語の特徴です。

 

それまでは、何か困難があると、主イエスが解決をしてくださっていました。湖に激しい嵐が起こり、舟が波にのまれそうになったとき、主イエスが鎮めて下さったこともありました82327節)。主がいつも共にいてくださる方であるということが、弟子たちにとっての勇気の源でした。けれども本日の物語においては、主イエスは離れた場所におられます。弟子たちをすぐに助けて下さる距離にはいない。そのことが、弟子たちの心の内にさらなる不安と恐れを増幅させることとなったのではないでしょうか。

このとき、弟子たちは一時的に、主が共にいてくださること(インマヌエル)への信頼を見失ってしまっていたのではないかと想像します。

 

 新型コロナの影響により、私たちもこの1年、お互いの間に物理的な距離が生じることとなりました。感染防止のため、大切な人と会いたくても会えない。親しい仲間たちとも集まれない日々。この1年は多くの人が物理的に引き離されることに直面した1年でもありました。

新型コロナの影響によって互いに引き離されている私たちと、本日の物語の弟子たちの姿もまた重なりあう部分があるかもしれません。主イエスとの間に物理的な距離が生じる中で、弟子たちはいつしか主がいつも共にいてくださることへの信頼を見失ってしまっていたようです。

 

 

 

あなたが共にいてくださるなら

 

 そのような中、主イエスは荒ぶる湖の上を歩いて、弟子たちのもとに来てくださいました。荒波と逆風に苦しむ弟子たちのもとに来てくださったのです。

「安心しなさい。勇気を出しなさい。わたしだ。恐れることはない」。この主の言葉に、舟の中の弟子たちは、主イエスがいつも共にいてくださる方である――物理的な距離をも超えて――ことをハッと思い出したのではないでしょうか。

 

弟子のペトロは主イエスの言葉に答えて言いました。《主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください28節)

不思議な言葉ですが、心打たれる言葉です。主よ、あなたでしたら――主よ、あなたが共にいてくださるなら、私は荒ぶる海の上も歩くことができます。逆風のただ中でも、一歩を踏み出すことができます。どうか私に命じて、そちらに行かせてください。そのようなペトロの想いが伝わって来るようです。ペトロの内に、主イエスへの信頼が再び取り戻されようとしています。

私たちは不安や恐れの中で、次の一歩が踏み出せなくなることがあります。そのようなとき、大切な誰かが寄り添い、共にいてくれると感じることができたとき、一歩を踏み出す勇気が出てくることがあるのではないでしょうか。困難に立ち向かってゆく力が与えられるのではないでしょうか。

 

主イエスはペトロの言葉に応えて、《来なさい29節)とおっしゃってくださいました。ペトロは勇気を出して、舟から荒ぶる湖面へと足を踏み出します。逆風の中、ペトロは自分の足で、新たな一歩を歩み出すことができたのです。

 

 

 

主は決して私たちを見失われることはない

 

 主イエスへの信頼をもって歩み出したペトロでしたが、しばらく歩いたところでふと強い風に気づいて怖くなり、水の中に沈みかけてしまいます。ペトロのそのような弱い部分も率直に描いているのが印象的ですね。私たちもまた、勇気をもって自分の足で歩み出しても、ふと怖くなってしまうことがあるものです。

ペトロは《主よ、助けてください30節)と叫びます。すると主イエスはすぐに手を伸ばしてペトロを捕えてくださいました。主イエスがすぐ近くでペトロを見守ってくださっていたことが分かります。

ペトロを抱きとめながら、主イエスは《信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか31節)とおっしゃいました。二人が舟に乗り込むと、すっかり風は静まりました。

 

《信仰の薄い者》というのは、マタイによる福音書独特の表現です。「信仰の小さい者」と訳すこともできます。ここで心に留めておきたいのは、「信仰がない」とは言われていないことです。あなたに信仰がなくなったわけではない、ただ不安や恐れによって小さくなってしまっているだけだ。そのような前向きなメッセージとして受け止めることもできるでしょう。

 ペトロがここで一時的に小さくしてしまっていたのは、主が共にいてくださること(インマヌエル)への信仰でした。恐れの中で、その信頼を見失ってしまった。しかし、そのペトロを主イエスはしっかりと捕まえてくださいました。たとえ私たちが主を見失っても、主ご自身は決して私たちを見失われることはないことが語られています。

 

 

 

「安心しなさい。勇気を出しなさい。わたしだ。恐れることはない」

 

 本日は物語の中の弟子たちの姿と、現在私たちが置かれている状況とを重ね合わせつつ読んでみました。私たちは日々の生活の中で、さまざまな逆風に遭うことがあります。荒ぶる波と逆風の中で、困り果てて座り込んでしまうこともあるでしょう。

けれどもどんなときも、主は私たちを見失うことなく、私たちと共にいてくださることを本日の聖書箇所は私たちに伝えてくれています。荒ぶる湖の上を歩いて、私たちのそばにまで来て下り、「安心しなさい。勇気を出しなさい。わたしだ。恐れることはない」といつも語りかけてくださっているのです。この主のお姿は、幻でも、幽霊でもありません。主はいま確かに生きておられ、私たちと共にいてくださっています。だからこそ、私たちは荒波と逆風の中であっても、次の一歩を踏み出すことができます。

 

主が共にいてくださることへの信頼をご一緒に私たちの内に新たにしたいと思います。