2021年7月4日「祈りを人々のために」
2021年7月4日 花巻教会 主日礼拝・創立記念礼拝
聖書箇所:テモテへの手紙一2章1-8節
「祈りを人々のために」
H・Tさん召天
昨日7月3日の午前0時59分、教会員のH・Tさんが天に召されました。99歳でした。苦しみはなく、安らかに息を引き取られたそうです。私も昨日納棺の際にお顔を拝見しましたが、穏やかな表情でいらっしゃいました。何かご病気であったということではなく、6月に入ってからお食事を口にすることが少なくなり、だんだんとお身体が弱っておられたとのことでした。天寿を全うされたのだと受け止めております。
明日7月5日午前11時より、花巻教会にてご葬儀を執り行う予定です。ご葬儀は新型コロナ感染対策のため、ご家族の方々のみで行います。教会からはKさんに代表して出席いただくこととなりました。ご遺族の皆様の上に神さまの慰めがありますようお祈りください。
熱海で土石流が発生
昨日の豪雨により、静岡県、神奈川県の各地で被害がもたらされています。熱海市の伊豆山地区では大規模な土石流が発生し、約20名の消息が不明となっています。皆さんもニュースの映像を御覧になって心を痛めていらっしゃることと思います。
ここ数年、7月のはじめに記録的な豪雨が発生しています。
2017年7月初旬には九州北部豪雨が発生、2018年7月初旬には広範囲に甚大な被害をもたらした西日本豪雨が発生しています。昨年も7月豪雨により、熊本を中心として大きな被害がもたらされました。
被災された方々、避難を余儀なくされている方々の上に主の支えがありますよう祈ると共に、私たちも改めて、防災の意識を高めてゆきたいと思います。新型コロナウイルスの感染拡大がなかなか収束しない中にあって、私たちは今年の夏も、コロナと自然災害の二つの災害に備えてゆかねばなりません。
創立記念礼拝
本日は、花巻教会の創立を記念して礼拝をおささげしています。これまでの歩みが神さまと多くの人々によって支えられましたことを感謝するとともに、これからの歩みのために共に祈りを合わせてゆきたいと思います。
私たち花巻教会は1908年7月21日を創立の日としています。この日、内丸教会で開かれたバプテスト東北部会において、花巻教会は正式に伝道所として認められました。それから信仰のともしびがともされ続けて今年で113年になります。毎年、7月の第1週に創立記念礼拝をおささげしています。
本日は創立記念礼拝ということで、教会がこれまで発行してきた記念誌を参照しながら、教会の創立の歴史をご一緒に振り返ってみたいと思います。
花巻教会の母体となった集会
1904年、後に花巻教会の母体となる第一回目の集会が開かれました。現在の双葉町にて開かれた、出席者は4名だけの小さな集会です。以降、この集会は場所をいくつか変えながらも、継続して開かれるようになりました。途切れることなく続いていったこの集会が教会の母体となってゆくこととなります。
この集会を主催していたのが、後に花巻教会の初代の牧師となる阿部治三郎先生です。阿部先生は1904年にアキスリング宣教師よりバプテスマを受けられました。それから間もなくしてアキスリング宣教師ご夫妻と阿部先生たちによって開かれたのが、先に述べました第一回目の集会です。
1907年には、この集会は一つの場所に定めて開かれるようになります。いまの私たちの会堂の裏側あたりにあった宮沢家の貸家がその集会所になっていたそうです。
阿部先生は受洗後しばらくアキスリング宣教師の助手のような役割をつとめておられましたが、ご自分も伝道者となって花巻の人々に福音を伝えたいという願いのもと、横浜バプテスト神学校(現・関東学院大学)へ進学されました。そうして4年の学びの後、再び花巻に戻って来られ、花巻教会が伝道所として認められた1908年7月21日に、伝道所の牧師(当初は仮主任者の位置づけ。翌年に正式に承認)として正式に着任されました。阿部先生はそれから1929年までの21年間、この教会を牧会されました。
阿部治三郎先生とキリスト教との出会い
教会の記念誌の中に阿部先生がキリスト教と出会った際のエピソードが綴られていますので、ご紹介したいと思います。教会創立70周年記念号に収められた長原一郎さんの文章です。
《花巻教会は阿部治三郎先生によって開拓された。先生は元営林署員であられた。たまたま遠野に出張され村千代旅館に投宿された折、後の佐藤卯エ門牧師が当時神学生で夏期伝道に遠野に来られ、同じ旅館の一宿で伝道説教をしていられた。隣室の阿部氏はこの青二才何を語るかと始めは軽蔑を以て聞いた。然し次第にこの神学生によってキリストの福音なるものへ魂を奪われていった。そして遂に信仰の決断しやがて伝道者たるべく一切を捨てゝ献身された。当時阿部氏の月給は二十幾円かだったのにその職を退き、アキスリング師のポケットマネー五円に甘んじ、伝道者の使命に立たれたのである。厳寒の単衣の重ね衣は有名な話である。先生の許に集まったのは、中村豊吉、中村陸郎、戸田政吉、菅原、永田、島、亀田屋、川村、伊藤(重)、その他の信仰に燃えた青年達であった》。
阿部先生は元々は営林署の職員であったそうですが、遠野に出張中、たまたま隣りの部屋に神学生が宿泊しており、その神学生から説教を聴いて衝撃を受けたのがその出会いであったと綴られています。初めは《この青二才何を語るか》と軽蔑をもって聞いていたのに、次第にその内容に魂を奪われていった、そして洗礼を受け、自分も伝道者となってしまった。心に残るエピソードですね。キリスト教との出会いというのは人それぞれですが、中には阿部先生のように劇的な出会い方をし、急激に人生が変化する方もいらっしゃるのですね。
阿部先生が花巻教会の牧師に着任した頃は地域の人々からキリスト教は認知されておらず、攻撃をされることもあったそうです。
《その当時はキリスト教に対する理解も少なく、路傍伝道の時などは「ヤソハリツケ」「ヤソハリツケ」などとはやしたてられたり小石を投げられたり、時としては他宗教の者と思われる暴漢に襲われたりした事もあったと聞いている。
熱血漢であった阿部先生はそのような困難にも負けず熱心に伝道して遂に中村豊吉兄、菅原力三郎兄、戸田政吉兄その他初代の兄姉等が入信して初代の教会の基礎が築かれた》(奥山清さんの文章より。『創立八十周年記念誌――一粒の麦から――』所収)。
信仰の先達たち ~宮沢賢治、斎藤宗次郎とのつながり
大変なご苦労の中で、しかし情熱的に伝道をしていた阿部先生のもとに、花巻の若者が集まってきました。花巻教会の基礎を築いてくださった方々です。
先ほどの長原一郎さんの文章にもお名前が出てきた島栄蔵さんと中村陸郎さんは、お住まいが宮沢賢治の生家のすぐ近くで、賢治さんと親しく交流していたそうです。賢治さんは島さんたちから話を聞いたり本を借りたりし、キリスト教について熱心に学ばれていたそうです。
雜賀信行さん著『宮沢賢治とクリスチャン 花巻篇』(雜賀編集工房、2015年)によりますと、島栄蔵さんに連れられて賢治さんは花巻教会に来たことが少なくとも二度あったそうです(同書、101頁)。教会員の多田ヤスさんは、賢治さんの妹のトシさんと交流がありました。トシさんももしかしたらヤスさんに連れられて花巻教会にいらっしゃったことがあったかもしれません。皆さんもよくご存じのように賢治さんは熱心な日蓮宗の信徒でしたが、花巻教会の信徒の方々ともさまざまな接点があったことが分かります。
賢治さんの『雨ニモマケズ』のモデルになった説もある斎藤宗次郎さんとも、花巻教会は長らく親しい交流を持っていました。花巻教会は教派がバプテスト、斎藤宗次郎さんは無教会ですが、当時花巻のクリスチャンたちは教派を超えて親しく交流し協力し合っていたそうです(同書、215‐217頁)。初代牧師の阿部治三郎先生も斎藤宗次郎さんと大変親しくされていたことが分かっています(同書、230‐232頁)。
丘の上の教会
多くの信仰の先達たちに支えられ、成長を続けた花巻教会は1922年に、会堂を吹張町に移転しました。万福亭の敷地内の小高い場所にある、見晴らしの良いところでした。初めは元三浦医院の一室をお借りして礼拝をささげていたそうですが、2年後の1924年、同じ敷地の中に最初の会堂を建てることになりました。当時は木造の二階建ての建物であったそうです。吹張町時代の花巻教会は「丘の上の教会」だったのですね。この会堂に、宮沢賢治さんも訪れたということになります。
学生時代にこの会堂の二階の部屋に宿泊をされていたという中嶋ユウさんは次のように綴っておられます。《昭和八年頃の教会は、吹張の今の万福の所にありました。吹張の通りの右が畳屋さん、左が島理髪店の間を入り石段を登ると緑色のペンキ塗りの教会でした。
「花巻バプテスト教会」の看板がかかっていました。小高い所に建っていて、教会らしくていいな、と、とても好きでした》(『創立八十周年記念誌――一粒の麦から――』より)。
その後、1935年に会堂を現在の仲町に移築します。そうして二度の建て替えを経て、いまに至ります。仲町に移転してからは、花巻教会は「丘の上の教会」ならぬ、「ひゃっこ坂の下の教会」になっています。
祈りを人々のために
本日は創立記念礼拝ということで、ご一緒に花巻教会の創立の歴史を振り返って参りました。花巻に蒔かれた神さまの言葉が芽を出し、豊かに成長してゆく様子をご一緒に振り返ることができ感謝です。私たち人間の意図を超えて、神さまの力が働かれていることを改めて思います(コリントの信徒への手紙一3章6-7節)。神さまの不思議な力は私たち一人ひとりの内にも働いてくださり、今朝、この花巻教会の礼拝に私たちを結び合わせて下さっています。
最後に、改めて本日の聖書箇所を見てみたいと思います。本日の聖書箇所であるテモテへの手紙一2章1-8節の冒頭に、次の言葉がありました。《そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい》。
この冒頭の言葉では、信仰者は祈りをすべての人々のためにささげるべきことが述べられています。
私たちの目の前には様々な課題・問題がありますが、愛する人々のために、地域のために、そしてすべての人々のために、これからも祈りを合わせてゆきたいと願います。
どうぞ私たち教会が、神さまの御心に少しでも近づけるような歩みをしてゆくことができますように。この教会が祈りの家として、これからも豊かに用いられてゆきますようにと願います。