2023年10月22日「キリストの愛に結ばれて」
2023年10月22日 花巻教会 主日礼拝説教
聖書箇所:イザヤ書43章1-7節、ガラテヤの信徒への手紙3章26-28節、ヨハネによる福音書15章1-10節
ハマスとイスラエル軍との間で大規模な軍事衝突
パレスチナ自治区のガザ地区で、イスラム組織ハマスとイスラエル軍との大規模な軍事衝突が続いています。皆さんも連日の報道を受けて、心を痛めていらっしゃることと思います。ハマスによるロケット弾攻撃も、それを受けてのイスラエル軍の報復攻撃の空爆も、どちらも決して容認することができないものです。イスラエル軍によるガザへの地上侵攻が何とかして阻止され、一刻も早く停戦へと至り、これ以上関係のない市民の方々の命が傷つけられ、失われることがないよう切に願います。
10月18日には、ガザ地区唯一のキリスト教系の病院であるアハリー・アラブ病院が爆撃を受け、およそ500名の方が亡くなりました。アハリー・アラブ病院を継続して支援しているアハリー・アラブ病院を支援する会ニュース・レター緊急号02によると、ガザ北部にあるこの病院には、爆撃を逃れた数千人の住民が避難していたそうです。病院再建のための支援のお願いも届いています。受付に募金の案内を置いていますので、どうぞご確認ください。アハリー・アラブ病院を支援する会ニュース・レターもまた近日中に皆さんにもお配り致します。
これ以上、人々の命が傷つけられ失われることがありませんように、ガザ地区の人々に必要な支援物資が行き渡りますように、ハマスによって人質とされている人々が解放されますように、イスラエルとパレスチナ自治区双方の平和のために、ご一緒に祈りを合わせてゆきたいと思います。
《わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である》
本日は礼拝の中で、洗礼式を予定しています。この度洗礼を志願しているのはK・KさんとK・Gさんです。洗礼式の上に聖霊のお導きがありますように、KさんとGさんのこれからの歩みの上に、神さまの愛と恵みが豊かにありますようお祈りしています。
洗礼式に際して、本日選んだ聖書の言葉は、ヨハネによる福音書15章1-10節です。《わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である》の言葉で知られる、イエス・キリストのみ言葉です。
5節を改めてお読みいたします。《わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ》。
ぶどうはつる性の植物です。主となる幹があり、そこから四方にたくさんの枝が伸びてゆきます。その枝から葉が生い茂り、時が来ると実を実らせます。
本日の聖書箇所では、イエス・キリストがぶどうの木全体を支える幹であること、そして私たち一人ひとりはその幹に結ばれた枝であることが語られています。幹であるイエスさまにつながっていることにより、私たちは豊かに実を結ぶことができるのだ、と。
《わたしの愛にとどまりなさい》
9節には、次の言葉がありました。《父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい》。
神さまが独り子であるイエスさまを愛されたように、イエスさまも私たち一人ひとりを愛してくださっている。このイエスさまの愛にとどまっていることの大切さが語られています。
ぶどうの枝が幹から離れないでいつもしっかりつながっているように、いつもキリストの愛に結ばれていること。その大切さをイエスさまはここでぶどうの木のイメージを通して伝えてくださっているのですね。
ぶどうの幹はたくさんの枝葉を下から支えています。また、根から大地の水分や養分を吸い上げ、一つひとつの枝葉に送っています。ぶどうの枝葉は日々、幹に支えられ、育まれています。スクリーンに映していますのは、あるぶどう園で撮ったぶどうの木の写真です。一本の太い幹が多くの枝葉、そしてぶどうの実を支えていることが分かりますね。
私たちもまたそのように、イエスさまの愛の中で共に生かされ、支えられていることをご一緒に思い起こしたいと思います。
《神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された》
聖書は、神さまが私たちを愛するゆえ、独り子であるイエス・キリストを私たちのもとにお送りくださったことを語っています。
《神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである》(ヨハネによる福音書3章16節)。
またイエスさまも私たちを愛するゆえ、ご自分の命をもささげてくださいました。
それは言い換えますと、神さま、イエスさまがそれほどまでに私たちを重んじてくださっているということです。イエスさまは私たちを極みまで愛するゆえ、その存在をかけがえのないものとして重んじて下さるゆえ、私たちのためにその命をもささげてくださいました。私たち一人ひとりが、神さまの愛と命に結ばれるようになるために。
ぶどうの木全体を支える十字架
イエスさまはぶどうの木、私たちはその枝――。私たちを支えるその幹は、イエス・キリストがおかかりになっている十字架を表すものとして受け止めることもできるでしょう。私たちはキリストの十字架と、そこに現わされた神さまの愛によって生かされています。スクリーンに映していますのは、以前私が描いた絵です。ぶどうの木全体を支える幹を、十字架の形で描いています。
この十字架のキリストの愛の内で、私たちは一人ひとり、かけがえのない、替わりがきかない存在とされています。神さまの目から見て、価高く、貴い存在(イザヤ書43章4節)とされています。
キリストの愛と命に結ばれて
またそして聖書は、十字架の死より三日目に、イエスさまが復活されたことを語っています。神の目に価高い私たち一人ひとりが、一人も失われることなく、永遠の命に結ばれるためです。
私たちはいま、共に、十字架のキリストと結ばれ、復活のキリストと結ばれています。天にある者も、地にある者も、このまことのぶどうの木の幹に共に結ばれています。どんなものも、このつながりから私たちを引き離すことはできないのだと信じています(ローマの信徒への手紙8章39節)。「クリスチャンである」ということは、このキリストの愛と命といつも固く結ばれていることであると、本日はご一緒に受け止めたいと思います。失われてもよい人は、誰一人として存在しません。神さまの前に、私たち一人ひとりがかけがえのない存在、決して見失われてはならない存在なのです。
《わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である》――。
キリストの愛と命に結ばれた一人ひとりとして、私たちがこれからも共に支え合いながら歩んでゆくことができますように。この地において、日々の生活において、互いを価高く貴い存在として、重んじ合ってゆくことができますようにと願います。
また、これから行われる洗礼式の上に聖霊なる神さまのお導きがありますように、ご一緒にお祈りをおささげいたしましょう。