2023年11月19日「モーセとキリスト」
2023年11月19日 花巻教会 主日礼拝説教
聖書箇所:ヨハネによる福音書6章27-35節、ヘブライ人への手紙3章1-6節、出エジプト記2章1-10節
出エジプト記
ここ数週間、旧約聖書(ヘブライ語聖書)からメッセージをしています。10月29日は千厩教会の栁沼赦羊子先生が創世記の天地創造物語についてお話しくださいました。11月5日はアダムとエバの物語、先週12日はアブラハム物語を取り上げました。いまご一緒にお読みしましたのは、創世記の次の書、出エジプト記の第2章です。
出エジプト記はその名の通り、イスラエルの民がエジプトから脱出する物語、そして約束の地カナン(現在のパレスチナ)を目指す物語です。英語では「エクソダス」と呼ばれます。
当時、イスラエルの人々はエジプトのファラオの支配の下で奴隷とされ、不当な重労働を課されていました。イスラエルの人々をその苦役から解放するため、神さまから選ばれたのがモーセという人物です。
本日の聖書個所は、モーセの出生を描いています。ナイル川にて、水浴びに来たファラオの王女が、バピルスの籠に入れられた赤ん坊のモーセを見つけるこの場面もよく知られているものですね。
出エジプト記はその後に生み出されてゆく様々な物語の、いわば原型ともいうべき物語です。出エジプト記が示す世界観が後世に与えた影響は計り知れないものがあるでしょう。特に有名なのは、海が割れる場面や、シナイ山にて神がモーセに十戒をお与えになる場面などですね。映画の『十戒』(1956年)をご覧になった方も多いことと思います。
神はイスラエルの民の叫びを聞き
出エジプト記を読む上で、重要な場面があります。モーセが神から召命を受ける直前の記述です。《それから長い年月がたち、エジプト王は死んだ。その間イスラエルの人々は重労働のゆえにうめき、叫んだ。労働のゆえに助けを求める彼らの叫び声は神に届いた。/神はその嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。/神はイスラエルの人々を顧み、御心に留められた》(出エジプト記2章23-25節)。
先ほど、イスラエルの人々が当時エジプトで奴隷とされ、重労働を課せられていたことを述べました。人々のその叫びが神に届き、神はイスラエルとの約束(契約)を思い起こされた、と出エジプト記は記します。
先週、イスラエルの父祖アブラハムに神さまから約束が与えられる場面をご一緒に読みました。出エジプト記においても、やはりこの約束が重要な主題となっていることが分かります。
印象的なのは、神さまが約束を思い起こされる契機となったのが、イスラエルの民の叫びであることです。奴隷にされて苦しむ人々の叫び声を神が聞き届けてくださり、約束を思い起こしてくださったこと、それがその後の物語の大切な枠組みとなってゆきます。
「神は私たちの叫びを必ず聞いてくださる方である。神は私たちのことを決してお忘れにならない。神は私たちのために、行動を起こしてくださる方である」。このことへの信仰・信頼が出エジプト記の根底に流れています。
モーセの出生の場面 ~他者の叫びを聞き、そのために具体的な行動を起こすこと
本日の聖書個所であるモーセの出生の場面も、このメッセージをあらかじめ示唆していると受け止めることもできるでしょう。
出エジプト記2章5-10節を改めてお読みいたします。《そこへ、ファラオの王女が水浴びをしようと川に下りて来た。その間侍女たちは川岸を行き来していた。王女は、葦の茂みの間に籠を見つけたので、仕え女をやって取って来させた。/開けてみると赤ん坊がおり、しかも男の子で、泣いていた。王女はふびんに思い、「これは、きっと、ヘブライ人の子です」と言った。/そのとき、その子の姉がファラオの王女に申し出た。「この子に乳を飲ませるヘブライ人の乳母を呼んで参りましょうか。」/「そうしておくれ」と、王女が頼んだので、娘は早速その子の母を連れて来た。/王女が、「この子を連れて行って、わたしに代わって乳を飲ませておやり。手当てはわたしが出しますから」と言ったので、母親はその子を引き取って乳を飲ませ、/その子が大きくなると、王女のもとへ連れて行った。その子はこうして、王女の子となった。王女は彼をモーセと名付けて言った。「水の中からわたしが引き上げた(マーシャー)のですから。」》。
籠の中の赤ん坊の泣き声を聞き、憐れに思ったファラオの王女は心動かされます。葦の茂みから赤ん坊の様子を見守っていた姉の申し出を受け、乳母を呼び(実際はモーセの母親)、赤ん坊の世話をすることを決意します。命の危機にさらされていた幼子の叫びを聞き、王女は具体的な行動を起こすのです。そのことによって、モーセの命は救われました。家族のモーセへの愛と、王女の勇気ある行動によって、モーセの人生の扉は開かれていったのです。
他者の叫びを聞き、そのために具体的な行動を起こすこと。この姿勢がいかに重要なことであるかが、冒頭の王女の振る舞いからも私たちに示されていると受け止めることもできるでしょう。
いま、ガザで起っていること ~一刻も早い停戦を
本日の聖書箇所を読んで思い起こさざるを得ないのは、いま、パレスチナのガザで起っていることです。いま、ガザ地区では、多くの人が命の危機に瀕しています。すでに命を奪われた方々の中には、多くの子ども、若者たちが含まれています。ガザ地区北部では多くの病院がイスラエル軍によって包囲され、建物の電源を失う中で、保育器の中の生まれたばかりの赤ん坊たちまでもがその命を奪われようとしています。《暗闇 消えゆく赤ん坊の声》、これは、11月15日付の朝日新聞の一面の記事の見出しです。この悲惨な状況の中から、幼子たちを一体誰が引き上げてくれるのでしょうか。
あまりに悲惨な内容に、日々のニュースを見るのも辛い状況です。皆さんも大変心を痛めていらっしゃることと思います。イスラエル軍によるパレスチナ市民の虐殺が一刻も早く食い止められますように、一刻も早く停戦へと至り、これ以上人々の命が傷つけられ、失われることのないよう願います。
悲惨な状況を目の前にして
このような悲惨な状況を目の前にして、時に、神さまへの信頼が揺らいでしまうように感じることがあります。先ほど、出エジプト記の根底には「神は私たちの叫びを必ず聞いてくださる方である。神は私たちのことを決してお忘れにならない。神は私たちのために、行動を起こしてくださる方である」ことへの信頼があることを述べました。しかし、ガザ地区で起っていることや、日々報道される悲惨なニュース、私たちの目の前にある様々な困難な現実を前に、その信頼を見失いそうになります。
「神は本当に、私たちの叫びを聞いてくださっているのか? 神は私たちのことをお忘れになったのではないか? 神は一体私たちのために何をしてくださっているのか?」……そのような問いがふつふつと胸の内に湧いてきます。
また、イスラエルの一部の指導者たちは、出エジプト記のメッセージをどう受け止めているのか。旧約聖書の根幹にある神のメッセージを見失っているではないか、と悲しみと憤りを感じずにはおられません。
キリストは共に叫び、涙を流しながら
悲惨な現実、困難な現実を前に立ち尽くさずにはおられない私たち。そのように立ち尽くす私の内に浮かんでくるのは、涙を流しておられるイエス・キリストのお姿です(ヨハネによる福音書11章35節)。
新約聖書は、イエス・キリストが生前、私たちと同じように、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、神に祈りと願いをささげられたことを記しています。
《キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。/キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。/そして、完全な者となられたので、御自分に従順であるすべての人々に対して、永遠の救いの源となり、/神からメルキゼデクと同じような大祭司と呼ばれたのです》(ヘブライ人への手紙5章8-10節)。
イエスさまは生前、私たちと同じように、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら懸命に神に祈りをささげられた。イエスはさま私たちの経験する苦しみを知っていてくださる方であり、私たちと共に叫び、涙を流してくださっている方であることを聖書は証ししています。そのお姿を通して、「神は私たちのこの叫びを聞いてくださっている。神は私たちのことを決して忘れてはいない」ことを私たちに伝えてくださっているのだと、本日はご一緒に受け止めたいと思います。
モーセとキリスト ~新しい出エジプト
神は私たちの叫びを聞き、私たちのことを忘れず、そして、私たちのために行動を起こしてくださる方である。このことを伝えているのが、クリスマスの出来事です。
神はイスラエルの民の叫び声を聞き、モーセを選び出し、エジプトに遣わしてしてくださいました。それが出エジプトの出来事の始まりでした。
新約聖書においては、モーセに替わる存在が現れます。その方が、イエス・キリストであるとキリスト教会は受け止めてきました。神は私たちの叫びを聞き、私たちのために、独り子を世界にお遣わしになってくださった――。これが、新約聖書が語る新しい約束の物語の始まり、クリスマスの出来事です。ですので、福音書の物語は「新しい出エジプト」と呼ばれることもあります。
あと2週間ほどで、教会の暦でアドベントに入ります。アドベントはイエス・キリストの誕生を記念するクリスマスを待ち望み、準備を整える時期です。「神は私たちの叫びを必ず聞いてくださる方である。神は私たちのことを決してお忘れにならない。神は私たちのために、行動を起こしてくださる方である」。神の独り子イエス・キリストが誕生したクリスマスは、この約束が実現された日です。アドベントを迎えるにあたって、この神さまの約束への信頼を思い起こし、私たちの内に新たにすることができるよう願います。
神はこの「私」を通して、行動を起こそうとしてくだっている
もう一つ、ご一緒に思い起こしたいのは、神さまはいま、私たち一人ひとりを通して、行動を起こそうとしてくださっているのではないか、ということです。
出エジプト記においては、神はモーセを通して、行動を起こされました。新約聖書においては、神は御子イエス・キリストを通して、行動を起こされました。いまも御子キリストは私たちと共におられ、働き続けてくださっています。
イエス・キリストが働いてくださるのは、私たち一人ひとりの内においてです。私たちが他者の叫びを聞き、具体的な行動を起こそうとするとき、キリストは共に働いてくださいます。共に叫び、涙を流しながら――神さまはいま、他ならぬこの「私」を通して、行動を起こそうとしてくださっているのだと、本日はご一緒に受け止めたいと思います。
パレスチナの平和を祈ると共に、私たちがそれぞれ、隣り人の苦しみに心を向け、行動を起こしてゆくことができますようにと願います。どうぞ神さまがその勇気と力とを、私たち一人ひとりに与えて下さいますように、ご一緒にお祈りをおささげいたしましょう。