2024年10月27日「神によって造られたこの世界」
2024年10月27日 花巻教会 主日礼拝説教
聖書箇所:詩編8編2-10節、マタイによる福音書10章28-33節、箴言8章1節、22-31節
本日から教会の暦で降誕前節に入ります。聖書の御言葉を学びつつ、イエス・キリストのご降誕に向けて準備をしてゆく期間です。今年は12月1日(日)からはアドベント(待降節)に入ります。気が付けば、クリスマスまであと8週間余りとなりました。
今年は1月1日に能登半島地震が発生。能登では先月9月、大雨による災害も発生しました。この度の地震と豪雨によって被災された方々の上に神さまのお支えがありますように、引き続きご一緒に祈りを合わせてゆきたいと思います。また、この夏の豪雨によって各地で被災した方々、いま困難の中にある方々に必要な支援が行き渡りますように祈ります。
本日は衆議院選挙と参議院岩手選挙区補欠選挙の投票日です。それぞれがしっかりと自分自身で考え、投票に臨みたいと思います。一人ひとりの生命と尊厳が守られる政治がなされてゆきますよう切に願うものです。
奇跡の星、地球
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スクリーンに地球の画像を映しています。1972年にアポロ17号から撮影された地球の写真です。よく知られた写真なので、皆さんもご覧になったことがあるかもしれません。この写真には「ザ・ブルー・マーブル(青いビー玉)」というタイトルが付けられています。アポロ17号から見た地球が、まるで子どもが遊ぶ青いビー玉のように見えたことが由来であるそうです(Wikipedia「ブルーマーブル」の項目より)。とても美しい写真ですね。
私たちが生きるこの地球は「奇跡の星」と呼ばれています。皆さんもご存じのように、幾つもの要因が奇跡的に重なって、私たち生命が生まれるに適した環境となっています。
たとえば、太陽との距離。地球と太陽との距離はおよそ1億5000万キロと言われていますが、この距離は生命が生きるに適した、絶妙な距離です。これ以上太陽に近すぎても、遠すぎても、生命は誕生することはできませんでした。
この他にも、様々な要因が重なって現在の地球の姿となっています。ある天文学者の方はかつて、地球に生命が誕生する確率は10の4万乗分の1であったと述べたそうです。10の10乗分の1で100億分の1の確率ですから、10の4万乗分の1は想像を絶する確率です。まさに奇跡としか言いようのないことが起こり続けて、いま私たちはここに存在しています。
このような話を聞いて、皆さんはどう思われるでしょうか。地球の誕生および生命の誕生は確かに奇跡的であるが、あくまでそれらは偶然の結果だと受け止める人もおられるでしょう。または、このように偶然が奇跡的に重なり続けることの背後には、私たちを超えた何者かの意志が働いているに違いない、と感じる人もいるかもしれません。
キリスト教は伝統的に、後者の受け止め方をしています。この宇宙は、そして私たち一人一人は、たまたま、偶然ここに存在しているのではなく、神の意志によって必然的にここに存在しているのだ、とする受け止め方ですね。よって、私たち一人ひとりがいまここに存在していることには大切な意味がある、ということになります。
もちろん、受け止め方は人それぞれです。あくまで偶然の積み重ねによって宇宙は存在しているに過ぎないと捉えている人もいるでしょう。それぞれの持つ世界観、人生観が尊重されてしかるべきですが、キリスト教は「この世界は神によって創られた」という世界観を持っています。
「この世界は神によって創られた」という世界観
メッセージの冒頭で、旧約聖書(ヘブライ語聖書)の箴言8章をお読みしました。この箴言8章でも、神が天地を創造される様子が、《知恵》と呼ばれる存在の視点を介して描き出されていました。《…主が天をその位置に備え/深淵の面に輪を描いて境界とされたとき/主が上から雲に力をもたせ/深淵の源に勢いを与えられたとき/この原始の海に境界を定め/水が岸を越えないようにし/大地の基を定められたとき。…》(箴言8章27-29節)。
この箴言の言葉にもあるように、「この世界は神によって創られた」という世界観を聖書は提示しています。天地も、海も、大地も、私たちも、神によって造られたもの。神によって造られた存在のことを、聖書特有の言葉で「被造物」と言います。対して、それらすべてを造られた神は「創造主(造り主)」と呼ばれます。
最も良く知られているのは、創世記の冒頭でありましょう。旧約聖書の創世記のはじまりには、創造主なる神がこの世界を創造する場面が記されています。《初めに、神は天地を創造された。/地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。/神は言われた。/「光あれ。」/こうして、光があった。/神は光を見て、「良し」とされた。…》(創世記1章1-4節)。
地球環境の管理を任された私たち
これらの創造の場面の最後に記されるのが、人間の創造です。こちらも良く知られた、神によって、神の似姿として、人が創造される場面ですね。《神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。/神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」》(創世記1章27、28節。もう一つの人間の創造の箇所は2章6、21-22節を参照)。
現代の科学の視点からすると、これら創世記の記述はそぐわないところがあるでしょう。現代に生きる私たちはこれらの記述を、事実を描写したものとして受け止めるのではなく、古代イスラエルの人々の世界観(世界をどのように捉えているか)が表現されたものとして受け止めることができるでしょう。参照した箴言や創世記の記述を通して、聖書を記した人々がどのように世界を捉えていたのか、どのように人間を理解していたのかを汲み取ることができます。
たとえば、引用した創世記の箇所では、私たち人間が「神の似姿」として造られたと語られています。この記述においては、それほどまでに私たちは神の目に貴い存在であるという理解が示されています。
続けて、創造主なる神は人間たちにお語りになります。《産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ》。「支配せよ」という言葉は「管理せよ」と言い換えることができる言葉です。ここでは、私たち人間が自然環境や生き物たちを意のままに支配しても良いと語られているのではなく、責任をもって管理するべきことが語られています。私たち人間には、神が創造されたこの地球環境の管理が任されているのだという理解ですね。
地球の叫び ~直面する深刻な気候変動
改めて、「ザ・ブルー・マーブル(青いビー玉)」の写真を見てみましょう。1972年に、アポロ17号から撮影された地球の写真。この写真が撮影されてから、50年以上が経過しています。それから、地球はどうなったでしょうか。
この写真が撮影された1972年は、私たちの住む日本においては高度経済成長が終わりを迎えようとしていた時期です。急速な経済成長および工業化によって、環境破壊や公害の問題が深刻化していた時期でもあります。
また、1970年代は科学者の間で地球温暖化が深刻な問題として受け止められるようになった時期でもありました。80年代後半からは、二酸化炭素による地球温暖化の問題が世界的に取り上げられるようになります。
環境に管理責任があるはずの私たち人間が、地球環境を無秩序に搾取し、破壊し、傷つけてきた現実。またそして、私たち人間が、神によって造られたこの世界をいまも傷つけている現実があります。2024年現在、宇宙から地球はどのように見えているでしょうか。昨今の異常気象を見ていますと、まるで地球全体が悲鳴を上げているかのようにも思えます。
教派を超えたキリスト教のつながりにおいては、毎年9月1日から10日4日までの時期を「被造物の季節(Season of Creation)」に定めているそうです。カトリック教会は初日の9月1日を「被造物のための祈願日」としています。日本のカトリック教会はこの日を「被造物を大切にする世界祈願日」と呼んでいるとのことです(参照:瀬本正之「すべてのいのちを守るために 『ラウダート・シ』から『ラウダーテ・デウム』まで」、『礼拝と音楽』203号所収、2024年11月発行)。
この「被造物のための祈願日」に合わせ、フランシスコ教皇が9月の祈りの課題として、「地球の叫び」のために祈るよう呼びかけていらっしゃいました。《地球の叫びのために祈りましょう。/地球の体温を測るならば、熱があることがわかるでしょう。具合が悪い人と同じように、地球も具合が良くないと感じています》、《……私たち一人ひとりが、地球の叫びに、また、環境災害や気候変動の犠牲者の叫びに心の耳を傾け、私たちの住む世界を大切にする生き方へと導かれますように》(バチカン・ニュース「9月の教皇の祈りの意向:地球の叫びのために」より、https://www.vaticannews.va/ja/pope/news/2024-08/intenzioni-preghiera-settembre-2024.html)。
フランシスコ教皇のメッセージにあるように、いま地球の体温を測るならば、熱があると受け止めることができるかもしれません。具合が悪い人と同じように、現在地球も具合が悪くなり、叫び声を上げている。私たち人間が地球環境を意のままに、無責任に利用し続けた結果、気候変動とそれを要因とする自然災害が引き起こされている現状があります。特に、先進国による経済活動が気候変動を引き起こし、それが世界各地で甚大なる自然災害を引き起こしている現実があります。そして、そのような気候変動の悪影響を被るのは、最も弱い立場の人たちであるとも教皇は述べています。
日本で毎年この時期に発生している大型台風も、日本近海の海水の温度の上昇が関係していることが指摘されています。また、今年の夏は観測史上、最も暑い夏だったとのことですが、猛暑もやはり海面水温の上昇が関係していると言われています。
私たちは地球のために、いま何ができるでしょうか。直面する深刻な気候変動に対して、どのようなことができるでしょうか。神によって造られたこの世界のために、またそして、これからの未来を生きる子どもたち、次の世代の人々のために、自分たちにできることを共に祈り求めてゆきたいと思います。
《地球という星は/未来の子どもの家。/いつまでも共に住む/道を示してください》(讃美歌426番「私たちを生かす」、日本基督教団讃美歌委員会編『讃美歌21』所収、日本基督教団出版局、1997年)。
キリストの到来 ~この被造世界全体の平和のために
本日から教会の暦で降誕前節に入ります。冒頭で述べましたように、聖書に学びつつ、イエス・キリストのご降誕に向けて準備をする時期です。教会が伝統的にイエス・キリストの到来を預言していると受け止めてきたイザヤ書11章に次の言葉があります。
《狼は小羊と共に宿り/豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち/小さい子供がそれらを導く。/牛も熊も共に草をはみ/その子らは共に伏し/獅子も牛もひとしく干し草を食らう。/乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ/幼子は蝮の巣に手を入れる。/わたしの聖なる山においては/何ものも害を加えず、滅ぼすこともない》(イザヤ書11章6-9節)。
このイザヤ書の預言では、救い主なるイエス・キリストの平和は、私たち人間社会においてだけではなく、他の被造物たちにも及ぶことが語られています。
《わたしの聖なる山においては/何ものも害を加えず、滅ぼすこともない》――。キリストの愛のご支配の内においては、もはや被造物同士が互いに傷つけあうことはしない。互いに害を加えず、滅ぼしあうことをしない。イエスさまは、神によって造られたこの被造世界全体に平和をもたらすために来て下さる方であることをご一緒に受け止めたいと思います。
私たちの目の前には、私たち人間が被造世界を傷つけている現実があります。無責任に搾取している現実があります。また、人と人とが傷つけあい、人が人を搾取している現実があります。特に、弱い立場にある人々が傷つけられ、搾取されている現実があります。
私たちはいかにしたら他者の生きる権利、他の被造物の生きる権利を尊重しながら、共に生きてゆくことができるでしょうか。イエス・キリストの言葉に学びつつ、その和解と平和の道を祈り求めてゆきたいと思います。