2024年12月1日「剣を鋤に、槍を鎌に」
2024年12月1日 花巻教会 主日礼拝説教
聖書箇所:マタイによる福音書24章36-44節、ローマの信徒への手紙13章8-14節、イザヤ書2章1-5節
アドベント
本日から、教会の暦でアドベント(待降節)に入ります。アドベントは「到来」という意味の言葉です。イエス・キリストの到来(誕生/再臨)を待ち望み、そのための準備をする期間がアドベントです。アドベントは本日12月1日から、12月24日まで続きます。
アドベント第1週に読まれる聖書の言葉として、イエス・キリストの《目を覚ましていなさい》があります(マルコによる福音書13章32-37節参照)。先ほど読んでいただいたマタイによる福音書24章36-44節にも、イエス・キリストの《目を覚ましていなさい》という言葉が記されていました。
イエス・キリストの到来を待ち望む、このアドベント。12月は何かと忙しい時期ですが、共に心の目を覚まして、イエスさまの到来を待ち望みたいと思います。そして神さまのため、隣人のため、自分にできることを行ってゆきたいと思います。
イザヤ書2章1-5節 ~《もはや戦うことを学ばない》
メッセージの冒頭で、ご一緒に旧約聖書(ヘブライ語聖書)のイザヤ書2章1-5節をお読みしました。4、5節《主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない。/ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう》。平和について語る代表的な聖書箇所の一つです。
ウクライナ、ガザ地区での悲惨な戦争が続く中、多くの人が切実なる想いをもって、この言葉を思い起こしていることと思います。《国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない》――。武力による解決(=戦争)を、私たち人類はもはや学ばない。そのような世界を、私たちはいかにしたら形づくってゆくことができるでしょうか。
賛美歌『剣を鋤に、槍を鎌に』
雑誌『礼拝と音楽』(日本キリスト教団出版局)で「聖書の歌をうたう」という連載がされており、私も参加しています。聖書(聖書協会共同訳)をもとに、その音節を整え、新しい賛美歌を創作する企画です。最新の203号(2024年11月発行)では、本日の聖書箇所イザヤ書2章1-5節に基づいて私が作詞した賛美歌『剣を鋤に、槍を鎌に』が掲載されています(メッセージの後、ご一緒に歌いたいと思います)。
1,
すべての人よ、共に歩もう
平和もたらす 神の道を
武器を農具に 作り変えよう
剣(つるぎ)を鋤に 槍を鎌に
2,
世界の民よ、共に登ろう
まことを示す 神の山を
国と国とは 剣上げず
戦うことを もう学ばず
3,
すべての人よ、共に歩もう
光の中を 神の道を
この地に平和 共に望もう
イザヤが語る 終わりの日を
1番の歌詞では、すべての人に、平和をもたらす神の道を歩もうと呼びかけています。そして、《武器を農具に 作り変えよう/剣(つるぎ)を鋤に 槍を鎌に》。
鋤も鎌も、農具です。土を耕し、作物を収穫するためのものですね。剣や槍などの武器を、それらの農具に作り変えようというイザヤのメッセージを歌詞にしました。
2番では、「戦うことを学ばない」という、本日のイザヤ書2章の中でも特に重要な部分を歌詞にしています。《国と国とは 剣上げず/戦うことを もう学ばず》。私たち人類は、いかにすれば、もはや「戦うことを学ばない」ようになるでしょうか。
過去の歴史を学ぶ
「戦うことを学ばない」ためには、「過去の歴史を学ぶ」ことが必要でありましょう。過去の、悲惨な戦争の歴史です。
私たちの住む日本も、アジア・太平洋戦争において、戦争がいかに悲惨なものであるかを経験しました。国内外に甚大なる犠牲をもたらした末、今から79年前の1945年、戦争が終結しました。私たちは過去の歴史に学び続けることが求められています。
戦後79年、私たちの住むこの世界は、幾多の悲惨な戦争を経験してきました。私たちは戦争がいかに悲惨な結果をもたらすか、いまももたらし続けているかを学ぶことが求められています。過去の歴史に「学び」、もはやこれ以上、武器を取って戦うことを「学ばない」ことが重要でありましょう。
一部の指導者たちは、軍事産業によって利益を得るため、過去の歴史に学ぶことを拒否し続けています。戦争を「終わらせたくない」人々が一定数いて、その人々が力を持ち、国際社会を動かしている現状があります。その現状を思うと、暗澹たる思いになりますが、だからこそ、私たち市民は過去の歴史に「学び」、戦うことを「学ばない」姿勢を示し続けることが必要でありましょう。
イエス・キリストのお姿に学ぶ
もう一つ、私たちにとって重要であるのは、「イエス・キリストのお姿に学ぶ」ことです。私たち一人ひとりをかけがえのない存在として愛してくださった、イエス・キリストのお姿に学ぶこと。神の愛を完全に現してくださった、イエスさまのご生涯、その教えに学ぶこと。
イエスさまは、私たち一人ひとりが神さまの目から見て、かけがえのない存在であることを伝えてくださいました。いまも、伝え続けてくださっています。
「かけがえがない」ということは、「替わりがきかない」ということです。私も、あなたも、「替わりがきかない」存在。だからこそ、大切であるのです。だからこそ、決して失われてはならないのです。
《互いに愛し合いなさい》――イエスさまはそう私たちに語り続けてくださっています。《わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。/互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる》(ヨハネによる福音書13章34、35節)。
互いを重んじ合うことを教えるこのイエスさまの言葉にこそ「学び」、互いを軽んじ合うことをもはや「学ばない」決意を、今一度私たちの内に新たにしたいと思います。
和解と平和への道を
私たちはもはや、武器をとって戦うことを学ばない。過去の歴史に学び、一人ひとりをかけがえのない存在として愛されたイエスさまのお姿に学び、この地に平和(ルカによる福音書2章14節)が到来することをご一緒に祈り求めてゆきたいと願います。
最後に改めて、3番の歌詞をお読みいたします。《すべての人よ、共に歩もう/光の中を 神の道を/この地に平和 共に望もう/イザヤが語る 終わりの日を》。