2024年6月30日「復活の命の言葉」

2024630日 花巻教会 主日礼拝説教

聖書箇所:ホセア書1428節、ヨハネによる福音書44354節、使徒言行録93643

復活の命の言葉

 

 

教団新生会教師会

 

先週624日(月)から26日(水)にかけて、教団新生会教師会が行われました。教団新生会は、日本基督教団の中で、教派としてバプテストの伝統を持つ教会の集まりです。岩手地区では、内丸教会、この花巻教会、遠野教会、新生釜石教会が教団新生会に属しています。

 

今回の教師会の会場は、瀬戸内海の生口(いくち)島にある日本バプテスト同盟 瀬戸田バプテスト教会(広島県尾道市瀬戸田町)と周辺の島々。瀬戸内海の伝道、特に福音丸伝道の足跡をたどることが主題の一つでした。福音丸についてはこの後説明いたします。梅雨の時期ではありましたが、雨もほとんど降らず、瀬戸内海ならではの景観を参加者の皆さんと堪能することができました。

 

この度は瀬戸田バプテスト教会牧師の石塚多美子先生が全面的にご協力くださり、福音丸ゆかりの教会や幼稚園を一つひとつ、想いと祈りを込めて、ご紹介くださいました。花巻教会からは私と妻が参加しました。また大阪より、私の両親も参加させていただきました。この度の3日間は、私たち家族にとっても、かけがえのない旅となり、心より感謝しております。

 

 

 

福音丸 ~動く教会

 

福音丸とは、日本の瀬戸内海伝道のため、アメリカのバプテスト教会から寄付された船のことを言います(1899年に献船式)。寄付に際しては、特にアメリカの日曜学校の子どもたちからの献金が大切な役割を果たしたとのことです。アメリカから来日したビッケル船長18661917の操縦により、福音丸は瀬戸内海の島々をくまなく巡り、イエス・キリストの福音を宣べ伝える働きを果たしました。今回の会場となった瀬戸田は、福音丸伝道の拠点の一つとなった場所です。当時(戦前)は瀬戸内海のみならず、壱岐、対馬、平戸、五島列島にまでその活動範囲は及んだそうです。

 

福音丸の最大の特質は、船自体が教会であることです。たとえば、1909年には、日本におけるバプテスト宣教50年を記念し、福音丸教会設立式が行われています(名称は福音丸浸礼基督教会。後に福音丸バプテスト教会に改称)。福音丸は、「動く教会」であったのですね。

1927年、福音丸は一度その働きを終えますが、戦後、再び伝道が開始されます。新たに造られた船によって、1951年より伝道が再開され、198210月にその働きを終えるまで、「動く教会」として瀬戸内海の島々を行き巡りました。

 

 

 

祖父のこと

 

この福音丸については、個人的なつながりがございます。私の父方の祖父・鈴木正弘は1946年から1986年まで、日本バプテスト同盟 土生(はぶ)バプテスト教会(広島県尾道市因島土生町)の牧師をしていました(祖父は私が11歳のときに亡くなりました)。先ほど1951年に福音丸伝道が再開されたと申しましましたが、祖父はこの戦後の福音丸の運営委員長をしておりました。この度の教師会に両親も参加させていただいたのは、そのような事情によります。私も福音丸について本を読んだり断片的なお話を聞いてはいたものの、実際に現地を訪ねてお話を伺うのは初めてで、大変貴重な経験となりました。

この度はかつて祖父が牧師をしていた土生バプテスト教会を訪問し、現在教会の牧師をしておられる林原弘先生とお嬢さまからお話を伺うことができました。

 

 母方の実家は、生口島のすぐ隣の岩城(いわぎ)島にあります。岩城には日本基督教団 岩城教会(愛媛県越智郡上島町)があり、この教会を開拓伝道した村上寛七牧師は私の母方の高祖父の弟にあたります。母も叔母も、幼い頃は教会附属の幼稚園に通っていました。今回の教師会ではこの岩城教会も訪問することができました。現在岩城教会を代務していらっしゃる廣瀬満和先生と教会員の方からお話を伺うことができ、共に祈りを合わせることができ、心より感謝でした。

 

 ちなみに、私が花巻教会に赴任してから知ったことですが、祖父は神学生の時、ひと夏の間、花巻教会に実習に来ていました。19387月から9月までのおよそ2か月、夏期伝道実習生として花巻教会でお世話になったようです。花巻教会創立80周年記念誌の年表にも、たとえば、《717日 鈴木氏歓迎茶話会(二十四名出席)一七日「紅海を渡る」二十四日「福音は何ぞや」など八月まで礼拝説教をなさる》とあります。この祖父の夏期伝道実習がきっかけのひとつとなり、祖父と同級生であった鈴木實先生が翌1939年、花巻教会に牧師として赴任することとなりました。

 

 

 

内海で生まれた賛美歌

 

福音丸は1982年に働きを終えましたが、先人たちが伝えたその信仰と希望と愛のともしびは、いまも瀬戸内海の諸教会・伝道所にともされ続けていることをこの3日間の旅で深く実感いたしました。

 

瀬戸田バプテスト教会の石塚先生が、『内海で生まれた讃美集Ⅰ 「瀬戸の海から」』(日本バプテスト同盟 内海部会 内海で生まれた讃美集編集委員会編、2020年)という歌集をご紹介くださいました。歌集収録の賛美歌を、訪問先の教会にて皆で歌いました。この瀬戸内海で生まれた賛美歌からも、信仰と希望と愛の光が、内海の島々に輝き続けていることが感じられました。

 

たとえば、歌集4番『ふくいんまるはすすむよ ~ビッケル船長ありがとう~』という賛美歌(関西部会 2017ファミリーキャンプの歌 原詞:長谷川温雄、編:田村義明、曲:田村義明)1番の歌詞をご紹介します。《イェスさまのひかりをうけて、ふくいんまるはすすむよ。そのむかし せとのうみを、ふいたかぜはいまもふく。イェスさまのめぐみを、みんなにつたえよう。しろいくも あおいそら、わたしたちはひかりの子》。心暖まる、感動的な歌詞ですね。青い海、青い空。その海をゆく福音丸――まさに、瀬戸内海から生まれた賛美歌であることが感じられます。イエスさまの恵みがいまも人々の内に、人々の間に、生きて働いていることを想います。

 

 

 

自ら赴いてゆくことの大切さ

 

この度の教団新生会の様子について、皆さまにご報告いたしました。教師会の資料一式をファイルに綴じて玄関の机の上に置いていますので、ご関心のある方はどうぞご覧ください。

 

福音丸が「動く教会」として、瀬戸内海の島々をくまなく巡ったということは、すごいことですね。待っているのみならず、自ら、人々のところに赴いてゆくことの大切さを思わされます。そしてその姿勢は、さかのぼれば、イエス・キリストご自身に行きつくものです。

たとえば、マタイによる福音書には《イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた9 35節)とあります。イエスさまは生前、自ら、町や村を残らず周り、神の国の福音を宣べ伝えられました。そうして、ありとあらゆる病気や患いをいやされました。言い換えますと、自ら悩み苦しむ人々のところに赴き、その痛み悲しみに寄り添い、福音の喜びを伝えてくださった。「動く教会」として瀬戸内海の島々をくまなく回った福音丸の働きも、このイエスさまのお働きにつらなるものであると受け止めることができます。私たちもこのイエスさまのお姿に倣い、福音の喜びを伝え、共に分かち合ってゆくことが出来るよう願うものです。

 

 

 

復活の命の言葉

 

 さて、メッセージの冒頭で、本日の聖書箇所である使徒言行録93643節をお読みしました。弟子のペトロが、病いによって亡くなった女性タビタを再び起き上がらせる場面です。

改めて、ペトロがタビタの遺体が安置されている家へ到着した場面をお読みいたします。《人々はペトロが到着すると、階上の部屋に案内した。やもめたちは皆そばに寄って来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せた39節)

 

女性たちはペトロの傍によってきて、涙を流しながらタビタが作ってくれた数々の下着や上着を見せました。この描写から、タビタが人々の精神的な支えであったこと、特に夫を失い社会的に弱い立場にあった女性たちの支えとなっていたことが分かります。タビタは現代の私たちの言葉で言うと、福祉に携わる活動をしていたようです。キリストの弟子として、そのような福祉活動に熱心に取り組んでいました。そうして多くの人から慕われていたことが伺われます。もしかすると、貧しい女性たちと共同生活をしながら、彼女たちの指導やサポートをしていたのかもしれません。タビタと彼女たちはキリストの愛の絆(コロサイの信徒への手紙314節)で固く結ばれていました。

 

ペトロは人々を外に出し、ひざまずいて祈り、遺体に向かって、《タビタ、起きなさい40節)と呼びかけました。すると彼女は目を開き、その言葉の通りに起き上がったと使徒言行録は記します。《ペトロが皆を外に出し、ひざまずいて祈り、遺体に向かって、「タビタ、起きなさい」と言うと、彼女は目を開き、ペトロを見て起き上がった》。使徒言行録は、これはペトロ自身が何か超人的な力を有していたから奇跡が起きたという風には描いていません。そうではなく、イエス・キリストの復活の命の言葉がペトロを通して働いたのです。

ペトロは手を貸してタビタを立たせ、弟子たちや女性たちを呼び寄せ、再び起き上がった彼女の姿を見せました41節)。周囲の人々の驚きと喜びはいかほどのものであったことでしょう。この出来事は町中に知れ渡り、多くの人がキリストを信じるようになったと使徒言行録は記します42節)

 

 

 

信仰と希望と愛の光

 

本日のタビタの物語で示されているのは、復活の命の希望です。イエス・キリストの復活の命の言葉を私たち教会は信じ続け、自分たちの変わらぬ希望としてきました。復活の命の言葉は私たちの内で、私たちの間で、いまも働いてくださっていることを聖書は証します。

 

「復活」という言葉は、原語のギリシャ語ではもともとは「起き上がる」「立ち上がる」という意味をもつ言葉です。イエス・キリストが暗い墓の中から「起き上がった」、そのことが「復活した」と訳されているのですね。復活の命の力とは、「私たちを起き上がらせる力」「私たちを立ち上がらせる力」と受け止め直すこともできます。死んだ人がよみがえる(再び起き上がる)、という意味での復活だけではなく、私たちの心がよみがえる(再び起き上がる)という意味でも、この復活の出来事を受け止めることもできるでしょう。

 

 私たちは生きてゆく中で、心が深く落ち込み、座り込んだようになってしまうことがあります。もう自分では立ち上がることができない心境になってしまうことがあります。そのような私たちに、起き上がる力を与えてくださるのが、復活のキリストです。大きな困難の中にあっても、私たちは再び起き上がってゆくことができる。再び立ち上がってゆくことができる。聖書は、よみがえられたイエスさまが私たち一人ひとりに、その復活の命の力を与えてくださっていることを伝えています。

 

また、本日の物語では互いを大切にしあうこと、互いに愛をもって接することの大切さも描かれていました。タビタと女性たちは、キリストの愛の絆で固く結ばれていました。

 

そしてこの愛と希望を私たちの心の目にはっきりと見えるようにするものが、信仰です。信仰と、希望と、愛。この最も大切な三つの事柄を、本日の物語から私たちは汲み取ることができるでしょう。

それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である(コリントの信徒への手紙一1313節)――。使徒パウロは、信仰と希望と愛の三つはいつまでも残ると述べています。この三つは、時を超えて、いつまでもとどまるのです。そうして私たちを互いに結びつけ、勇気づけ、私たちに再び起き上がる力を与えます。

 

 

かつてイエス・キリストがともしてくださったこの信仰・希望・愛の光は、人から人へと手渡され続け、いまも、この世界の隅々にまでともされています。この光を、私たちも大切な人々のもとに赴き、共に分かち合ってゆきたいと思います。