2025年1月26日「天の国は近づいた」

2025126日 花巻教会 主日礼拝説教

聖書箇所:イザヤ書823節後半‐93節、ローマの信徒への手紙1817節、マタイによる福音書41217

天の国は近づいた

 

 

美しきガリラヤ

 

いまお読みしましたマタイによる福音書41217節の冒頭に、「ガリラヤ」という地名が出てきました。ガリラヤはパレスチナの北部に位置する地域で、イエス・キリストが活動の拠点とされた場所です。よって、福音書の主要な舞台となっている場所でもあります。

 

当時、ガリラヤは北と南の二つの地域に分かれていました。北部は山岳地帯、南部は温暖な気候で、農業が盛んな地域だったようです。私は実際にガリラヤには行ったことはありませんが、写真を見ますと、いまも緑が豊かな場所であることが分かります。

 

ガリラヤというと、多くの人が思い浮かべるのがガリラヤ湖でありましょう。ガリラヤ湖はガリラヤの東の端に位置する湖です。上空から見ると、楽器の竪琴(ハープ)のようなかたちをしています。ガリラヤ湖のほとりでイエスさまが様々なたとえ話を語られる場面が福音書に出てきますね。湖の周りは盛り上がった丘陵地帯になっており、その丘の上から撮られた湖の写真は本当に美しいです。太陽の光に輝く水面、水面を進む小舟。緑の丘一面を彩る草花。この景色を見ると、誰もが故郷に帰って来たような、懐かしいような気持ちになるのではないでしょうか。

 

ガリラヤ湖のまわりには当時、いくつもの町が点在していました。人々は舟にのって、町から町へ移動することができました。その湖畔の町の一つに、カファルナウムという町がありました。公の活動を開始するにあたって、イエスさまはこのカファルナウムを活動の拠点とされました。本日の聖書箇所にはこのように記されています。1213節《イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。/そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた》。

 

 

 

苦難の地ガリラヤ

 

このように温暖で緑豊かなガリラヤでありますが、イエス・キリストが生きておられた当時、人々の生活は苦しかったようです。

 

 当時のガリラヤについて記した本を読みますと、ガリラヤの人々は「三重の支配」を受けていた状況にあったことが分かります(参照:山口雅弘先生『イエス誕生の夜明け ガリラヤの歴史と人々』、日本キリスト教団出版局、2002年)。三重の支配とは、一つはローマ帝国による支配です。当時イスラエルはローマ帝国の支配下に置かれていました。もう一つは、ガリラヤ領主ヘロデ・アンティパスによる支配です。ガリラヤという地域の領主の支配を受けていたのですね。そしてもう一つは、エルサレム神殿を中心とする国家体制による支配です。

 

 三つ目の「エルサレム神殿を中心とする国家体制」については少し説明が必要かもしれません。

エルサレム神殿とは、都エルサレムの中心にあった神殿です(スクリーンに映しているのは、当時のエルサレム神殿を復元した模型です)。残念ながら神殿の外壁の部分(嘆きの壁)しか現存していませんが、パレスチナの全土から巡礼者が訪れていた、いわゆるユダヤ教の「聖地」です。この神殿の中には、当時「最高法院」という組織がありました。国の宗教的・政治的な決定をなしていた当時の最高の自治機関です。エルサレム神殿は宗教的な「聖地」であり、同時に政治的な「議事堂」でもあったのですね。

 

最高法院に属する指導者たちはローマ帝国や領主たちと癒着し、民衆から税を取り立てていました。ローマ帝国の支配から民衆を守るのではなく、むしろローマの権威を後ろ盾にして、民衆に重い税を課し、農作物を搾取していたのです。社会の構造が、そのように不平等なものとなってしまっていました。人々が収穫した豊かな農作物も、その多くが税として奪われてしまっていたのです。

 

以上述べましたように、当時、ガリラヤの人々は三重もの支配の中で、苦しい生活を強いられていました。そのガリラヤにて、イエスさまは木工の子としてお育ちになりました。ガリラヤの人々の生活の労苦をつぶさに御覧になりながら、成長されていったことでしょう。

 

《馬槽のなかに うぶごえあげ、/木工の家に ひととなりて、/貧しきうれい、生くるなやみ、つぶさになめし この人を見よ》(讃美歌280番『馬槽のなかに』1番、作詞:由木康、作曲:安部正義、日本基督教団讃美歌委員会編『讃美歌21』所収、日本基督教団出版局、1997年)

 

 

 

現在のガリラヤ

 

イエスさまが生きていた時代のガリラヤについてお話しました。現在のガリラヤはどうなっているでしょうか。現在、地図を見るとガリラヤ地域はイスラエルの領土となっています。しかし、ガリラヤ地域はもともとは長きに渡りアラブ・パレスチナ人の居住地域でした。1948年にイスラエルが建国され、第一次中東戦争が始まってから、この地域はイスラエル軍によって占領され、イスラエル国の領土とされていったという経緯があります。

 

ガリラヤ地域がイスラエルの領土とされたことは、パレスチナの人々の同意に基づいてなされたことではありません。もともと住んでいたパレスチナの人々の住居を破壊し、土地を奪い、そこから強制的に追放することによって、ガリラヤはイスラエルの領土となったのです。パレスチナに、パレスチナ自治区としてかろうじて残されているのが、皆さんもよくご存じの通り、ヨルダン川西岸地区とガザ地区になります。

 

ガリラヤ地域にもともと住んでいたパレスチナ人の多くは強制的に移住させられ、難民となりましたが、中にはガリラヤに残り続けた人々もいました。ガリラヤ地域に残った人々は否応なしに、イスラエル国籍をもつイスラエル国民にさせられました。ヨルダン川西岸地区やガザ地区とは違い、ガリラヤはもはやパレスチナの領土ではないものとされているからです。ガリラヤには現在も、パレスチナ人として生きてきた歴史も誇りも否定され、同時にパレスチナ人であることの不当な差別を受けながら暮らしている大勢のパレスチナの人々がいます。その人々の多くはイスラム教徒ですが、中にはユダヤ教徒、キリスト教徒もいます。これが、1948年以降のガリラヤの現状です。

 

先週の119日より、ガザでの戦争がようやく停戦へ至りました。この停戦が一時的なものではなく、恒久的なものとなるよう切に願うものです。しかし一方、ヨルダン川西岸地区ではイスラエル軍による軍事作戦が継続されており、多数の死傷者が出ていることが報道されています。まことにゆるしがたいことです。

これまで行われ続け、現在も行われているのは、イスラエルによるパレスチナ人へのジェノサイドです。イスラエルが一刻も早く、パレスチナの人々への虐殺を止めるよう強く求めます。

 

 

 

《異邦人のガリラヤ》

 

 本日の聖書箇所では、続けて、次の言葉が記されています。旧約聖書(ヘブライ語聖書)のイザヤ書の引用です。1516節《ゼブルンの地とナフタリの地、/湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、/異邦人のガリラヤ、/暗闇に住む民は大きな光を見、/死の陰の地に住む者に光が射し込んだ(イザヤ書823節、91節の自由な引用)

 

 この中に、《異邦人のガリラヤ》という言葉が出てきます。異邦人は聖書特有の言葉の一つで、ユダヤ人以外の外国の人々を指す言葉です。ユダヤの人々から見て外国人にあたる人々ですね。この呼称には「自分たちとは異なる神を信じる人々」という意味も込められていました。

 

 ガリラヤが《異邦人のガリラヤ》と呼ばれたことには歴史的な背景があります。そこには、紀元前8世紀に起こった、北イスラエル王国の滅亡という悲劇的な出来事が関係しています。ガリラヤを含む北イスラエル王国は紀元前8世紀にアッシリア帝国によって滅ぼされ、その後アッシリアによって他民族との混交政策が行われました。このような背景があり、ガリラヤは《異邦人のガリラヤ》と呼ばれるようになったのですが、《異邦人のガリラヤ》という言い方は、南のユダ王国の人々から見た呼び方であるということが分かります。エルサレムを都とする南の人々が、北の人々を蔑む表現として、《異邦人のガリラヤ》という呼称を用いることがあったようです(参照:山口雅弘先生『イエス誕生の夜明け ガリラヤの歴史と人々』)

 

 このことから、ガリラヤは差別を受けていた地域でもあったということが分かります。いわゆる「中央」から見下されていた地域であったわけです。イエスさまはそのガリラヤに拠点を置き、そこで活動をされました。イエスさまがエルサレムで活動されたのはご生涯の最期のごくごく短い期間です。エルサレムにて、イエスさまは権力者たちによって捕らえられ、そして十字架刑に処せられることになります。

 

 

 

暗闇に射し込む光

 

 以上述べてきましたように、イエスさまが生きていた時代、ガリラヤの人々は何重もの税に苦しみ、また中央からの理不尽な差別に苦しみ続けてきました。そのような状況が続いてゆくと、自尊心は失われ、生きる力は奪われてゆきます。生きる喜びも、希望も奪われてゆきます。当時、多くの人が、まるで暗闇の中を歩むような想いで過ごしていたのではないかと想像します。

そのようなガリラヤの地に、光が射し込んだ、と本日の聖書箇所は語ります。《異邦人のガリラヤ、/暗闇に住む民は大きな光を見、/死の陰の地に住む者に光が射し込んだ1516節)。光をもたらしてくださる方が、イエス・キリストその方です。かつて預言者イザヤが語った預言が、イエス・キリストを通して遂に成就したのだとマタイ福音書は語ります14節)

 

「暗闇の中に住む」は「暗闇の中に座る」とも訳すことができる言葉です。人々は暗闇の中に座り込んでいた。搾取と抑圧と差別の中で自尊心が奪われ、もはや立ち上がれないでいる状態であった。そのような人々に、イエス・キリストを通して、光が射し込み始めた。まるで朝日が昇るように、光が差し込み始めたのです。

 

 

 

「天の国は近づいた」

 

イエスさまはおっしゃいます、《悔い改めよ。天の国は近づいた17節)――

「天の国」とは、「神の国」と同じ意味の言葉です。「神」という言葉を直接的に用いるのを控えて、ここでは代わりに「天」という言葉が使われています。意味としては同じです。

「天の国」または「神の国」とは、どのような場所のことを言っているのでしょうか。ここで宣べ伝えられている「天の国」とは、ある特定の国家のことを指しているわけではありません。神の国はギリシア語の原語では「神のご支配」とか「神の王国」とも訳すことのできる言葉です。神の力、神の権威、また神の願いが満ち満ちている場所というニュアンスです。神の国とは、神さまの願いが実現されている場であると言えます。

 

では、神さまの願いとは、何でしょうか。それは、「一人ひとりが、かけがえのない存在として重んじられ、大切にされること」であると本日はご一緒に受け止めてみたいと思います。神さまの目に価高く貴い(イザヤ書434節)私たち一人ひとりの生命と尊厳が、この世界において現実に大切にされること、これが神さまの願いであると言えるのではないでしょうか。その神さまの願いが、イエス・キリストを通して実現されている場、それが神の国であるのだと受け止めることができます。

 

この神の国がいままさに、地上に近づいている。イエスさまと共に、地上に到来しようとしているのです。イエスさまは《悔い改めよ。天の国は近づいた》と人々に呼びかけ、神の国の福音を伝える活動を始められました。暗闇の中を歩む人々を照らす光として――。

かつて語られたイエスさまの福音の言葉が、現在のガリラヤに、再び響き渡ることを願わずにはおられません。パレスチナの地に、神の国の福音の光が再び射し込むことを願わずにはおられません。

 

 

悔い改めよ。天の国は近づいた》、このイエスさまの呼びかけを、私たち自身が、全身で受け止めることができますように、そして、イエスさまと共に、この世界が少しでも神さまの願いに近づく場所となるべく、自分にできることを行ってゆくことができますようにと願います。