2022年3月13日「ベルゼブル論争」
2022年3月13日 花巻教会 主日礼拝説教
聖書箇所:エレミヤ書2章1-13節、エフェソの信徒への手紙6章10-20節、マルコによる福音書3章20-27節
東日本大震災から11年
一昨日の3月11日、私たちは東日本大震災から11年を迎えました。皆さんも当時のことを改めて思い起こしつつ、祈りをささげられたことと思います。
今年の3月11日は震災当日と同じ、金曜日でしたね。今年は春を思わせる穏やかな天候でしたが、11年前は雪が舞うような寒い日であったとお伺いしています。震災が起きた当日、私は神学校の4年生で、まだ岩手にはおりませんでした。先輩の卒業式が行われているさ中に、地震が発生しました。大きな揺れに、卒業式はわずかな時間ではありましたが中断しました。東京の三鷹市でも大変な揺れ方であったので、岩手や東北に住んでおられた皆さんの体感した揺れと恐ろしさは、どれほどのものであったことかと思います。
東日本大震災11年を覚えての礼拝 ~森分和基先生のメッセージより
先週の3月6日(日)の午後には、奥羽教区主催の「東日本大震災11年を覚えての礼拝」(岩手地区オンライン配信)をおささげしました。会場は奥羽キリスト教センターチャペル、私たち花巻教会は当教会会堂から、オンラインを通して参加しました。宮古教会の森分和基先生がメッセージを担当くださいました(配信動画のアーカイブは日本基督教団 奥羽教区のYouTubeチャンネルでいつでもご覧いただけます)。
森分先生はお話の冒頭で、この度の礼拝のメッセージを考えようとすると気持ちが落ち着かなくなって、実際に心身の体調が悪くなり前の日から当日の朝まで寝込んでしまっていたとおっしゃっていました。毎年この3月11日が近くなってくると心身の調子がすぐれなくなる、とも以前からお伺いしていました。「当時のことを思い出そうとすることを体が拒否しているのだと思います」とのことでした。当時のことを思い起こし言葉にするのは大変辛い作業である中、メッセージを取り次いでくださったこと、感謝いたします。
先ほどに申しましたように、震災が起きた当時岩手にいなかった私は、ここにいらっしゃる多くの皆さんのように震度7の規模の揺れを経験したわけではありません。また、森分先生や当時沿岸にお住まいだった皆さんのように、津波による被害を経験したわけではありません。私にはその大変な困難、痛みを自分なりに想像し、想いを馳せることしかできません。2013年に花巻に来てから、様々な方から当時のことを教えて頂き、少しずつその理解を深めている途上です。これからも、自分なりにその理解、想いを深めてゆけたらと思っております。
震災の当日、宮古の震災被害を目の当たりにした際、森分先生の脳裏をよぎった言葉は「生き残ってしまった」という言葉であった、とメッセージの中でおっしゃっていました。その「生き残ってしまった」との痛みに心が傷つけられる中、森分先生と教会の皆さんは懸命に復旧作業に取り組まれてゆきました。
その後、宮古教会とこども園は場所を移転することを決断されました。未来の子どもたちのため、津波が届かない安全な場所に移転することを決断されたのです。多くの方々の支援とお祈りに支えられる中で、2015年、新しい会堂と園舎が完成しました。
新しい会堂と園舎が無事に完成した後、森分先生の胸の内にはあったのは多くの方々に支えられてきたことの感謝の想いのみであり、自分が何かを成し遂げることができたとの達成感は一切なかったとのことです。震災直後に感じた「生き残ってしまった」との想いがずっと残り続けており、それは、いまでもある、と。しかし一方で、「そのように自分で自分がゆるせなくても、神は主イエスの救いを通して、いびつで小さな自分をも、いとおしいもの、神の目に価高いものとしてくださっている。だからこそ、ありのままの自分として生きる希望をいただいてきたように思います」と語ってくだいました。
私たち一人ひとりを価高く貴いものとしてくださっている神さまの愛を心に刻み、被災された方々の想いと共に、これからも一歩一歩、歩んで行けることを願っています。
原発事故から11年
この度の震災は、原発事故という未曽有の災害をもたらしました。私たちはこの3月11日、東京電力福島第一原子力発電所の事故から11年を迎えました。
原発事故から11年が経ちましたが、その困難はいまも現在進行形で続いています。多くの方が故郷を失い、現在も避難を余儀なくなされています。また、放射能の健康被害に対する不安の中、様々な困難の中を生活しています。原発事故はまったく過去の事柄ではなく、いまもその深刻な被害と影響は現在進行形で続いているものです。
311子ども甲状腺がん裁判
今年の1月27日、原発事故による放射線被ばくの影響で甲状腺がんになったとして、当時子どもであった(幼稚園生から高校生)6名の若者が東電に対して損害賠償を求める訴訟を起こしました。この「311子ども甲状腺がん裁判」の原告の方々は皆さんまだ若く、最年少では高校生の方もいます。子どもの時に甲状腺がんになった患者が裁判を起こすのは初めてであり、またそして、原発事故による放射線被ばくの健康被害を訴える裁判が起こされるのも日本で初めてのことです。私たちの社会全体にとっても、非常に重要な裁判であると受け止めています。
通常、小児甲状腺がんの発症数は年間100万人に1~2人ほどです。甲状腺がんは大人では珍しくない病気ですが、子どもで発症するのは極めて稀であると言われます。にも拘わらず、福島県内ではこの10年間で、約300人の子どもや若者が小児甲状腺がんと診断されて手術を受けています。あきらかに異常な事態が生じているわけですが、国や福島県や電力会社は原発事故との因果関係を認めようとはしません。手術をした方の中には、再発や遠隔移転をしている方もいます。この度の裁判の原告の皆さんも、6名の内4人ががんの再発を経験しているとのことで、心が痛みます。
がんの手術や治療の苦しみ、再発や転移への不安、進路や将来への不安……小児甲状腺がんとなった方々がこれまで経験してきた困難や苦しみはいかばかりのものであったことでしょうか。本来であれば、私たち社会全体が、真っ先に、健康被害を受けた子どもたち・若者たちに支援の手を差し伸べるべきであったにも拘わらず――それが事故を引き起こした私たちの社会の責務であるはずです――実際はそうはなりませんでした。むしろ患者となった方々を社会から孤立させてきたというのが、その実態でありました。小児甲状腺がんを発症した方々は、差別や偏見を恐れ、口を閉ざさざるを得ない状態に追いやられてきたのです。
原発事故以後、私たちの社会は、「原発事故による健康への影響はない」との一方的な見方に影響を受け続けてきました。この度の原発事故による放射線の健康被害は「ない」ものとする立場、あるいは「極めて軽微」なものとして被ばくを容認する立場が、この10年、私たちの社会で力を持ち続けてきました。放射能への不安を口すると、「復興を妨げる」「福島への差別を助長する」「風評被害を助長する」ものとして批判される現状がありました。
裁判の弁護団の方々(井戸謙一弁護団長、河合弘之副団長)が外国特派員協会で記者会見を行った際、ある外国の記者の方から、「なぜ訴訟が起こされるのがこんなに遅いのか」「なぜ原告の数がこんなに少ないのか」「なぜこの度の裁判が初めてなのか」という趣旨の質問を受けたそうです。それに対して、河合弘之弁護士は次のように答えました。
「財産的補償を求める裁判は30件以上起きていて、何万人という人が訴訟を起こしています。でも、健康被害については、一切訴訟が起こせていません。このケースはおそらく外国であれば、被害者は全員立ち上がって集団訴訟を起こすであろうと思いますが、この日本においては、特に福島県においては圧迫的雰囲気が強くて、自分が甲状腺がんの患者であるということ、それが福島原発事故によるものであると言うと、『風評被害のもとになるから止めろ』という圧力が非常にかかる。だからみんな分断されていて、団結できていなくて、この10年間、みんな逼塞して生きてきたのです」(YouTube『311甲状腺がん子ども支援ネットワーク』、『311子ども甲状腺がん裁判〜原告がいま、話したいこと。伝えたい思い』より)。
この10年間、患者の方々は声を上げたくても声を上げることができなかった。河合先生がおっしゃったように、社会の偏見や無理解により、沈黙せざるを得ない状況に追い込まれていたのです。しかしこの度、6名の若い方々が、勇気をもって立ち上がって下さいました。
この度の裁判を支援するため、3月11日を期限とするクラウドファンディングも行われていました。計1962名の方から、総額17,601,000円の支援が寄せられました。私も微力ながら、支援をさせていただきました。クラウドファンディングが終了する最後の1時間、カウントダウンを見守る動画配信が行われました。その配信の最後に、原告の一人の方がお礼の言葉と共におっしゃった言葉が心に強く残っています。それは、「正直、クラウドファンディングを始まるまでは、復興の妨げに私たちの存在がなってしまってるんじゃないか。裁判を起こそうと思っている考え方が間違っているんじゃないか……など色々な気持ちでいました」との言葉でした。そのように懸命に言葉を紡ぎ出そうとされる中で、しばらく涙で声を詰まらせておられました。原発事故によって被害を受けた方々に、そのような想いにさせてしまっていた私たちの社会の責任を思います。原告のその方は、続けて、「でも、応援のメッセージをいただいて、裁判に参加して良かったといまは思っています」と力強く語ってくださいました(YouTube『311甲状腺がん子ども支援ネットワーク』、『カウントダウン配信「311子ども甲状腺がん裁判」』より)
裁判の第1回口頭弁論期日は5月26日(木)に決まったとのことです。放射線被ばくの健康被害が認められ、原告の方々に確かな補償がなされ、その尊厳が回復されますように、また私たちの社会が一人ひとりの生命と尊厳をまことに大切にする社会となってゆきますように、ご一緒に祈りを合わせてゆきたいと思います。またどうぞ、この裁判のことを共に祈りに覚えていただければ幸いです。
ベルゼブル論争
本日の聖書箇所であるマルコによる福音書3章20-27節の中に、《ベルゼブル》という呼び名が出てきました。ベルゼブルは当時用いられていた「悪霊の頭」の呼び名です。本日の聖書箇所では、イエス・キリストが《あの男はベルゼブルに取りつかれている》《悪霊の頭の力で悪霊を追い出している》といったいわれのない中傷を受けていたことが記されています。
福音書にはこの「悪霊」と呼ばれる不可思議な存在が何度も登場します。イエスさまは病気の人を癒すことの他に、悪霊を人々の中から追い出すことをご自身の大切な働きの一つとしておられました。そのことを受け、一部の人々は「あの男は悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」のだと悪い評判を流していたようです。イエスは悪霊の親玉にとりつかれており、だから人々にとりついている下っ端の悪霊を追い出すことができるのだ、と。
悪霊がどのような存在であるかは、いまを生きる私たちにははっきりとは分かりません。
様々な解釈ができる存在ですが、これら悪しき霊の働きにおいて、共通している点があります。それは、「私たちから主体性を奪おうとする力」である点です。悪霊とは、私たちから主体性を奪い、言葉を奪い、そして尊厳を奪おうとする何らかの否定的な力である――本日はそのように受け止めてみたいと思います。
先ほど、この10年間、放射能への不安を口すると批判される状況にあったと述べました。「復興を妨げるな」「風評被害を助長するな」といった強い圧力があり、たとえば、小児甲状腺がんとなった患者の方々が声を上げたくても声を上げることができない状況がありました。このような圧力もまた、人々から主体性を奪い言葉を奪う何らかの否定的な力と言うことができるのではないでしょうか。もちろん、復興を目指してゆくことは重要なことであり、その営みはとても貴いものです。ただし、「復興」の名のもとに、原発事故の被害を受けているいる人々が口を閉ざし沈黙へと追いやられてしまうこと、あたかも「存在していないかのように」されてしまうことは、決してあってはならないことです。
イエス・キリストのお働き ~私たち一人ひとりに尊厳を取り戻すために
イエスさまは様々な圧力に苦しむ私たちの現実と向かい合い、その否定的な力の支配からから私たちを解放しようとしてくださいました。私たち一人ひとりの内に、主体性と、言葉と、そして尊厳とを取り戻すために――。それが福音書に記されている悪霊追放の出来事であると本日はご一緒に受け止めたいと思います。
よって、悪霊の働きと、イエス・キリストのお働きというのはまったく対照的なものであることが分かります。悪霊が私たちから主体性を奪い言葉を奪う何らかの否定的な力であるとすると、イエスさまの内からあふれ出ているのは私たちに主体性を取り戻す肯定的な力です。《悪霊の頭の力で悪霊を追い出している》との誹謗中傷がまったく見当違いのものであることはこのことからも分かります。悪霊の働きと聖霊の働きは、本質的に相容れないものであるからです。
そしてそのイエスさまのお働きの根底にあるのが、「神さまの目に、一人ひとりがかけがえのない、価高く貴い存在である」という神の国の福音です。神の目に大切な一人ひとりの生命と尊厳を守るため、イエスさまはいまも私たちと共におられます。私たちを悪しき力から解放し、私たち一人ひとりに尊厳を取り戻すため、いま共に働いてくださっています。
神の国の福音を土台とし、一人ひとりがまことに大切にされる社会を目指して、自分にできることをしてゆきたいと願っています。